おらがまち

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相浜神社の「波除丸」。安房神社にゆかりある由緒ある神社。

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こんにちは。

弱小文化財応援ブログ「おらがまち」のまちこです。

 

今回は1300年祭を迎えた安房神社例大祭にも出祭していた「相浜神社」と「波除丸」について細かくご紹介します。

相浜神社とは

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鳥居正面

館山市街地を西岬地区方面海沿いに抜けた海岸沿いにある地区。

住宅街の一画にあります。

 

港町特有の細い道を抜けて行きますので、大型の車は運転注意です。

境内前に少し車が止められるスペースがあります、近くの無料駐車場に停めてここまであるく事をおすすめ。

創建等、縁起について

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拝殿正面

創建された年代はわかりません。

安房神社の例祭的なものは養老年間(奈良時代)には始まっていたようですし、近くにある相浜神社(元波除神社)の別当寺感満寺の開基が文武3年(699)とも言われ、これに近いもしくはそれよりも早い段階で創建されていた可能性が考えられます。


その後、明治の神仏分離を経て、大正時代に波除神社と楫取(かんどり)神社*1と合祀され、現在の相浜神社の形が出来上がりました。

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境内様子 

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案内看板

~看板内容~

相浜神社 Aihama-jinja Shince
大正年間に村内の氏神を祀っていた波除神社(なみよけじんじゃ)と楫取神社(かじとりじんじゃ)が合祀され、日本武尊が祭神の相浜神社となりました。元禄年間に始まったという「御船の祭り」は、長さ8m幅1.5m車輪6輪の波除丸を引きまわして、漁民の海上安全と大漁を祈願する神事で、活気あふれる祭りです。

曳船祭り

毎年3月最終土曜に行われる相浜神社の例祭で、「曳船祭り」といわれます。

 

相浜の名主石井家に殿様が訪れたとき、舟遊びを見せたことがこのお祭りの始まり。


祭りでは、殿様役の子供が地区の若衆に担がれ、砂で敷き詰められていた道を練り歩きます。
このとき御船「波除丸」も一緒に曳き回されましたが、現在は曳き手がおらず残念ながら町内の曳き回しは行われていません。

 

曳船祭りでは波除丸のほかに神輿も出祭。

町内の練り廻しなどはされず、境内でお囃子や踊りが行われ海上安全と大漁祈願を祈ります。

安房神社例大祭

かつては、安房神社例大祭に相浜神社の神輿が出祭し浜降神事「磯出」の先導役を努めていましたが、現在こちらの例大祭には出祭はしていません。

波除丸とは

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正面

船型の山車「御船(おふね)」

船の形をした山車で、南房総では通称「御船(おふね)」といいます。

 

造船年代はよくわかっていませんが、宝永年間(1704~1711)とされています。

他の地区の御船と比べて水押(みおし)の角度が緩いのが特徴。

「水押」とは船の先端のとがっている所で、波除丸のこの写真だと赤い幕がかかっている部分。

先端の金色の飾りは、金カンザシの鳳凰。

 

明治30年頃、昭和33年、昭和54年に改修。

波除丸写真

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側面

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背面※見づらくて申し訳ありません。

背面上部左右四角と下部円部分に龍の彫刻があります。

いずれも明治34年に後藤喜三郎橘義信によって彫られました。

 

 

 

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*1:下記写真の案内看板とふりがなが違いますが、どちらが正しいのかは不明。まま記載します。