おらがまち

歴史大好きまちこ主催!弱小「文化財」応援ブログ!

後藤義光の系譜を引く彫刻師・後藤流一門について。系図と人物概略。

スポンサートリンク

こんにちは。

弱小文化財応援ブログ「おらがまち」まちこです。

 

今回は南房総の神輿・山車、寺社仏閣に欠かせない彫刻師の一門:後藤流について簡単にご紹介します。

「安房の三名工」でもあります。

 

「安房の三名工」は、波の伊八と初代後藤義光、そしてもう一人は石工として知られる武田石翁です。

ご興味のある方は下の記事にどうぞ。

f:id:oragamatiko:20180801153116j:plain武田石翁はこちら

f:id:oragamatiko:20180801153116j:plain伊八はこちら

早速後藤の一派の系図から見てみましょう!

彫刻師:後藤流の系譜

江戸時代の日光東照宮から続いた寺社の豪華な彫刻は「江戸彫り」といわれ、左甚五郎をはじめとして江戸を中心とした彫刻師によって切り開かれていきました。

 

これらの「江戸彫り」を学ぶために各地から人がやってきます。

安房の後藤流一派の初代:後藤義光もその一人で、後藤恒俊のもとに修行に行きました。 

 

ざっと簡単な略図を掲載します。

系図

後藤義光利兵衛義光の一門の系譜図

gotouyosimitu-monnjinn-keizu

参考文献(佐藤輝夫「後藤利兵衛義光」館山市文化財保護協会会報7・8号(1974・1975))をもとに簡易系図を作成しました。

 

本来は「後藤三次郎恒俊」の上にさらに系図が続きます。

 

東京国立博物館蔵の「彫工左氏後藤世系図」は、左甚五郎から続く江戸彫り師の系図を確認することが出来、後藤義光もこれらの系譜図の中に載っている人物でもあります。

 

ちなみに左甚五郎は、安土桃山時代から江戸時代初期の人物。

日光にある左甚五郎作といわれる眠り猫は、あくまでも伝承という立ち位置の作品で、この人の作品と断定されているわけではありません。

 

左甚五郎はこうした江戸彫り師たちの総称・代名詞ともいわれ、全国各地で、さらに時代でいうと300年近く使われている名称です。

なので、個人の名称と安易にとらえない方がいいかもしれません。

 

いずれにしてもこの系図は、優秀な江戸彫りたちの系図をしるための基礎資料として現在も大いに活躍している資料です。

f:id:oragamatiko:20180801153116j:plain後藤義光の生まれ故郷

それぞれの人物概略

gotou-tyoukoku

さらに各人物で追記する点があるものを下に書きました。

初代後藤利兵衛橘義光

  • 文化11年(1815)~明治35年(1902)
  • 現:南房総市千倉町出身
  • 元の名を山口利兵衛
  • 義光の前、はじめのころは光定

義光は幼いころから小刀な彫刻をもって遊び、14歳で健田川合の愛宕神社:大黒天像を彫刻したことをはじめに、18歳で千倉の熊野神社宝器を彫っています。

 

やがて後藤三次郎恒俊の門弟となり、神奈川の浦賀明神社の彫刻を担い、後藤利兵衛義光と名乗ります。

 

その後いくつかの業績を残し、故郷へ帰って来た義光は弟子を取り多数の優れた門人を排出します。

 

最晩年の作品は、88歳のとき明治35年(1902)旧岩井町二部黒石山勝善寺本堂の向拝といわれています。

お墓は千倉町の八幡山西養寺。

 

この義光の概略については館山市長須賀の来福寺山門の入り口には寿蔵碑(じゅぞうひ:生前に建てられた碑)があり、こちらに細かく記載されています。

参考にさせて頂きました。

後藤門治郎義政

  • 万延元年(1860)~明治40年(1907)
  • 本名は紋治朗、門治良光利とも称した
  • 初代義光の長男

義政は相模国で生まれ、33歳という若さで死去しています。

父:義光の見習いとして長く過ごし、若くして亡くなったことからその作品の数はあまりありません。

 

はっきりとしているのは、千倉町平舘の徳蔵匀山門の龍とされています。

後藤福太郎義道

  • 文久元年(1861)~大正12年(1923)
  • 初代義光の後妻の先の夫との子で、義光の次男
  • 代表作:鴨川市吉尾の吉保神社向拝

長狭方面にたくさんの作品が残され、特に屋台などを多数手がけています。

後藤兵三

  • 初代義光の門人
  • 後藤喜三郎橘義信・後藤利三郎橘義久・後藤庄三郎橘忠明と併せて「後藤の四天王」と呼ばれる
  • 横浜出身

初代義光の門人で優れた技術を持っていましたが、出身地が横浜だったことから本拠地は神奈川としていました。

彼の安房での作品はあまりありません。

後藤喜三郎橘義信

  • 嘉永2年(1849)~大正15年(1926)
  • 初代義光の門人
  • 後藤兵三・後藤利三郎橘義久・後藤庄三郎橘忠明と併せて「後藤の四天王」と呼ばれる
  • 館山市国分出身

「国分の彫物師」ともいわれ、人物彫刻が秀逸。

初代義光のあと、安房を拠点に大活躍した人物で、現在残る神輿や山車・屋台には彼の作品が多いです。

 

最後の仕事は、丸村小戸集落の屋台彫刻といわれています。

後藤利三郎橘義久

  • 初代義光の門人
  • 館山市竹原出身
  • 後藤兵三・後藤喜三郎橘義信・後藤庄三郎橘忠明と併せて「後藤の四天王」と呼ばれる

館山市那古を拠点に活躍した人物で、置物彫刻を得意としました。

後藤庄三郎橘忠明

  • 安政3年(1856)~昭和13年(1936)
  • 館山市南町出身
  • 後藤兵三・後藤利三郎橘義久・後藤利三郎橘義久と併せて「後藤の四天王」と呼ばれる
  • 本名:原徳松

海南刀切神社の向拝・拝殿の彫刻が代表作。

彼の作品は館山市にもありますが、どちらかというと上総の方に多く久留里亀山の三石山観音寺の向拝などがあげられます。

82歳で死去し、お墓は館山市金台寺。

後藤定吉

  • 初代義光の門人
  • 後藤源義定とも

三代義光

  • 明治19年(1886)~昭和35年(1960)
  • 後藤門治郎義政の長男
  • 千倉町寺庭出身
  • 本名は山口滝治

初代義光(つまりおじいちゃん)の技を受け継ぎ、龍の彫刻を得意としました。

大正から昭和にかけて活躍。

後藤義孝

  • 後藤門治郎義政の次男、3代義光の実弟
  • 本名は堀江松太郎

安房を中心に活躍していますが、関東大震災後の復興による歌舞伎座や明治座、国会議事堂の参議院玉座なども手掛け、後藤の流派の名を後世に伝える役割も果たしています。

後藤義房

  • 後藤喜喜三郎義信の甥で、門人でもある
  • 館山市国分出身
  • 本名は高木実
  • 富浦を中心に活躍

彼らの文化財はたくさん

gotou-tyoukoku

江戸時代前半~中期頃には彫り物に刻銘を残すことはほとんどなくて、どんなに立派で素晴らしい彫刻があったとしても無名のものばかり。

 

なのであまり研究も進まず、しかも主流であった江戸は太平洋戦争などで空襲にあい、結構な文化財たちが焼失してしまいました。

 

もったいない~。

 

しかし、初期のころの系譜は関東近郊の宮彫師たちに引き継がれ、各地に文化財として残っています。

 

安房(南房総)では、後藤義光の流派と伊八の系統が活躍していました。

伊八は全国区で知られた人物ですので、写真集やファンクラブなんかもありますが、後藤一派に大きな活動しているようなものもありません。

↓※ただし、個人で出版されているものもあります。

ちなみに両方ともそれ専用の美術館というものはありません。

 

両方ともまだまだ現役です。

神社やお寺の建築や神輿や山車の一角を担う大変重要な作品でもあります。

そこだけ抜き取ってしまうと、魅力は半減してしまいます。

※一部博物館や郷土資料館などにいくつか展示がされていますが、ほんの数点です。

 

なので、これらの彫刻を見たい場合は寺社やお祭りに来ないと見れません。

館山市・南房総市の作品

南房総を中心にした作品のデータベースって結構ありますので、参考になるサイトをいくつかご紹介させていただきます。

 

f:id:oragamatiko:20180801153116j:plain南房総の後藤一派、伊八の彫刻の所在地を確認することが出来ます。

f:id:oragamatiko:20180801153116j:plain館山市を中心に後藤一派、武田石翁の彫刻の散策マップがあります。

 

館山市や南房総市では、不定期に後藤義光の彫刻写真の展示会を開催しています。

大々的に開催されるものではありませんが、解説員の方がいるので大変勉強になります。

 

残念ながら彫刻を実際に見たい場合は直接こちらに来るしかありません。

お祭りの時期に来ると、寺社や神輿・山車の彫刻を間近で観ることが出来るのでおススメです。

f:id:oragamatiko:20180801153116j:plain後藤義光の彫刻も山車も神輿も見れる!

安房以外にも

初代後藤義光は安房以外にも東京・神奈川・埼玉でも活躍した人物です。

 

下記に紹介するサイトは「宮彫師」を世界に広めようと色々活動していらっしゃる団体です。

神奈川県を中心に龍の彫刻に特化し紹介しているので、とても参考になります。

f:id:oragamatiko:20180801153116j:plain神奈川県の龍の彫刻を完全網羅!

初代義光の門人である後藤秀吉橘義雄の山車の彫刻などは幸手市にもあるそうです。

f:id:oragamatiko:20180801153116j:plain埼玉県幸手市(さってし)には後藤義雄の作品!

ほか参院議院本会議場玉座に後藤義孝の鳳凰、義光は京都の松尾山鞍馬寺の扁額(山門の額)なども手掛けていて、遠方からの依頼も結構あったようです。

 

また東京都には初代後藤義光やその師匠の作品がいつか残されていますが、こられをまとめたサイトというものは残念ながらありません。

 

こうした点在した資料をまとめるにはかなりの時間を要するかと。 

まとめ

後藤義光の流派は現在もたくさんの作品が残されています。

 

その流派の源は江戸を中心とした彫物師。

日光東照宮などでも活躍した彫刻師たちの技を受け継ぐ彼らの意匠は、大変文化的な価値があるものと思われます。

 

とはいえ、建造物にある彫刻は「建物の一部」でしか捉えられていないので、全国的に見てもまだまだ発展途上の分野です。

 

こうした分野の見直しがもっと大きくなり、安房の後藤の魅力がもっと知られるようになればと願って止みません。

 

地元の人間は、自分の地域に観光の名勝なんてないと思う事がよくあります。

 

ですが、本当はちょっとしたものでも実は歴史があり、深い意味をもつものが少なくありません。

 

お家のすぐ近くの神社のちょっとした彫刻も、もとはたどれば日光東照宮にまでさかのぼれる。

なんて、ロマンがあって面白いと思います。

 

後藤流がこれから先も、末永く続く事も祈って〆としたいと思います。

 

 

以上「おらがまち」まちこでした。

< 参考文献・サイト >

  • 上記引用させて頂いたサイト様。