おらがまち

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南房総の芸術の拠点の優美な祭礼~保田祭礼~

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こんにちは。

弱小文化財応援ブログ「おらがまち」まちこです。

 

田舎の祭礼なんて誰も見ないよ?

 

有名どころでないお祭りは人知れず廃れていく運命ではありません!

 

地元のお祭りを少しでも全国の皆さんに知ってもらうべく、ブログにて絶賛紹介中です。

片田舎のお祭りだからと南房総の祭礼をあなどるなかれ。

 

 

今回は、鋸山の御膝元で有名な千葉県鋸南町「保田(ほた)」のお祭りをピックアップしました。

 

ではでは早速!

保田祭礼について

鋸南町(きょなんまち)は鋸山を含むその南側にある町で、保田はJR保田駅より海側から長狭街道に沿ってある地区です。

 

保田漁港があることから漁師町のイメージもありますが、一歩内陸に入ると農業も大変盛んな地区。

花の栽培も有名で、南房総の冬の名物「水仙ロード」の云われは、江戸時代にまでさかのぼるといわれています。

 

ここで行われる「保田祭礼」には、多くの江戸型山車や屋台、神輿のほかに特徴ある山車が出祭します。

 

屋台に杉の木を飾ったもので、通称「大杉様」といわれる屋台。

いわれなどは定かではないようですが、関東太平洋側を中心にこうした杉を山車に乗せて曳き回すものはいくつか存在します。

 

例えば茨城県にある大杉神社にも似たような山車があります。

全国にあるこうした大杉様との関連性を考えると、とっても面白い発見があるかもしれません。

*1

祭礼日

保田祭礼は、毎年9月第4金・土(以前は9月23・24日)に開催。

祭礼内容

屋台5台、神輿2基、山車1台、大杉様2台が出祭し、規模の大きい祭礼です。

大杉様の担ぎ屋台がゆっさゆっさと揺れる姿は大変見もの。

参加地区

大澤、川向、芝、中原、中道、浜、本郷上、元名、吉浜の9地区。

大杉様という名の杉の木屋台

大澤(加茂神社)

大澤はJR保田駅周辺の地区で、鎮守の加茂神社も駅近くの商店街の中にあります。

御祭神は加茂別雷神(かもわけのいかづちのかみ)で、神社は江戸時代創建。

 

以前は担ぎ屋台でしたが、現在は屋台を出祭させています。

後藤滝治義光による彫刻で、昭和9年に地元大工宇津木氏が製作。

浜(加茂神社)

浜はJR保田駅周辺海側になり、大澤と同様に加茂神社を祀ります。

御祭神は加茂別雷神(かもわけのいかづちのかみ)で、神社は江戸時代創建。

 

昭和40年代に製作された大杉様が保田の祭礼で出祭。

芝台(加茂神社)

芝台はJR保田駅周辺で、大澤・浜とともに加茂神社を鎮守として祀ります。

御祭神は加茂別雷神(かもわけのいかづちのかみ)で、神社は江戸時代創建。

 

踊り屋台があります。

昭和7年に製作され、後藤滝治義光の彫刻を見ることが出来ます。

川向(磯邊神社)

川向は保田漁港の北側になります。

磯邊神社は国道127号沿いにあり、磯邉神社の御祭神は天鈿女命(あめのうずめのみこと)で、芸能の神様。

江戸初期天和年間創立といわれています。

 

保田の祭礼には神輿が出祭。

現在の神輿は2基目で大正時代に作られたもので、1基目は江戸時代のものであったといわれています。

昭和28年に海上神社から譲り受け昭和49年にも改修。

1基目の神輿は少し小ぶりですが、現在も本殿内に保管されているそうです。

 

神輿の「御浜出」が現在も完全な形で維持されている貴重な神社。

f:id:oragamatiko:20180801153116j:plain海上神社についてはこちら

中原(日枝神社)

中原は館山有料道路の出入口あたりの地区で、日枝神社を祀ります。

天文年間(室町時代後期)創立の神社。

 

後藤滝治義光による彫刻の屋台を所有しています。

この屋台は昭和初期(戦前)に作られました。

中道(保田神社)

中道はJR保田駅から長狭街道に入ったところに位置します。

鎮守の保田神社を長狭街道を入ってすぐに鎮座。

御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)で、天文年間(室町時代後期)創立の神社です。

 

保田の祭礼には破風山車が出祭。

人形は神武天皇。

現在の山車は2台目で平成3年に東京から購入したもので、先代は大正時代にに東京か埼玉から山車を購入、京都から人形を購入したといわれています。

本郷上(貴布禰神社(貴船神社))

本郷上は館山有料道路鋸南保田出入口を少し過ぎ、長狭街道を進んだ地区。

闇龗命(くらおかみのみこと)を祀る貴船神社を鎮守としています。

ちなみに闇龗命は雨乞いの神様。

 

以前は担ぎ屋台でしたが、今は曳き屋台で昭和3年に製作されたもの。

元名(八幡神社(鶴崎神社))

元名は鋸山の南海沿いから山裾に伸びる長い区で、富津市との境にあります。

 

最近鶴崎神社として正式登録されたようで、郷社の格を持つ江戸時代創建の神社。

水戸光圀(水戸の黄門様)の書いた「甲寅紀行」にも出てくるよ!

拝殿天井には「源義経弓流し図」という大絵馬(寛政10年(1798))があり、鋸南町の指定文化財に登録されています。

 

屋台と神輿が保田祭礼には出祭し、屋台には後藤滝治義光・後藤義光の彫刻が彫られています。

神輿は色合いがこげ茶色と独特な風合いで、大正12年に地元の人が佐貫の大工に頼んで作られたもの。

吉浜(吉浜神社)

吉浜は、保田の海側南、漁港周辺の地区。

吉浜神社はもともと神明神社だったようですが、地元の地名に合わせてこう呼ばれるようになったようです。

創建は南北朝時代ともいわれる古い神社。

 

保田の祭礼には、平成初期に製作された新しい大杉様が出祭。

 

< 参考文献・サイト >

鋸南町は芸術の歴史の拠点

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保田にある妙本寺

鋸南町は安房の芸術の凝縮地。

それは「見返り美人」をはじめとした浮世絵師「菱川師宣(ひしかわもろのぶ)」の誕生地であるだけではありません。

 

安房には江戸時代「三名工」といわれる三人の彫刻師がいました。

 

一人は山車や神輿などの社寺彫刻で知られた後藤利兵衛橘義光(初代)、全国に名をとどろかせた「波の伊八」こと武志伊八郎信由(初代)、そして保田の元名を拠点とし石彫りの達人だった武田石翁。

 

彼らの作品は今でも南房総の各地に残っていますが、保田はこの三人の作品がたくさん残っている地域なんです。

 

寺社の彫刻しかり、石造りの彫刻しかり、神輿や山車の彫刻にも、安房の芸術を一気に花開かせた人物たちでもあります。

 

とくに「武田石翁」は、保田の元名を中心に活躍した関東でも名の知れた石彫師でした。

生まれは旧三芳村本織。

f:id:oragamatiko:20180801153116j:plain武田石翁の出身地本織の祭礼を見てみる

しかし、ほかの二方よりもあまり研究が進んでおらず、その作品を見る機会もそんなにありません。

 

南房総市白浜の野島崎の厳島神社の七福神像、館山の山荻の福楽寺の宝塔など、残された作品は点々と存在はしています。

 

おもに平久里川で産出する石で、獅子、龍、仏像、神像などなど様々な種類のものを作って行くのですが、これがまた小さい石なので数も多ければどこかにしまい込まれて埋もれてしまっているため、確認されているものはそこまで多くありません。

 

なので、もしかしたらたまたま行った神社やお寺の敷地にある狛犬や石仏などが武田石翁の作品だった!なんてことがあるかもしれないくらい、そこかしこに作品がある可能性があります。

 

なんせ、研究途上の人物なので、どこに何があるという把握はほとんど出来ていません。

だから、神社やお寺、それだけでなく、たまたま撮った写真ってのはとっても貴重な史料になる可能性があります。

 

ましてや、石仏など、石の彫刻は大体が外に置かれていることが多い。

外に置かれているということは、酸性雨や風雨などにさらされて石が溶けてしまったりすり減ってしまったりしているかもしれません。

 

そうなると、資料が残っていればいいのですが、武田石翁という銘が彫られていたとしてもまた作品であるという特徴があったとしても、判別するのが難しくなってしまいます。

 

今のうちに、ちょっと立ち寄った神社に置かれている狛犬なんかの後ろの刻銘を見てみてください。

 

こういうのは、塵芥作戦と写真くらいでしか解決できません。

もしかしたら、そこから大発見が生まれるかもしれません!

 

武田石翁の資料や作品は少ないですが、鋸南町保田の菱川師宣記念館ではその展示会を不定期ですが開催していることがあります。

 

興味を持たれた方は立ち寄ってみてください。

 

また、武田石翁のお墓も保田の存林寺(ぞんりんじ)にあり、その作品も残されていますし、寺の須弥壇には伊八の作品もあります。

 

後藤の屋台彫刻、伊八の寺社彫刻、武田石翁の石彫り、さらには菱川師宣。

保田の祭礼はこうした芸術品をみるとっても良い機会だと思います。

 

鋸山だけじゃないのよ~

安房の芸術を見に来て下さいね~

 

保田の遊び情報はレジャー・体験・遊びの予約ならASOVIEW!じゃらん 遊び・体験予約などで色々紹介されています。

ちなみに地元人でも「え~そんなのあるんかい!」という内容も多々あり。

宿泊予約ならJTBホームページが大分細かく地域の宿泊情報を網羅しているのでおすすめ。

 

 

以上「おらがまち」まちこでした。

 

 

あなたも自分の地元のお祭りをネットで情報発信してみませんか?
同志たちよいざ行かん!

*1:ちなみに大杉神社が鎮座する地が「阿波(あんば)」というそうな。それにちなんで「あんば祭り」とも。向こうの方はピンと来ないかもしれませんが、私たち南房総の人間ならこの地名ちょっと思うところがあります。これ「あわ」って読めますよね。きっと、四国の阿波の人たちならなおわかるはず。四国にもこんな山車があるのかな?知りたい。また、この大杉神社は鹿島にもあるらしいのですが、南房総は鹿島ともゆかりの深い地でもあります。なんだか縁を感じる名前ですね。「大杉様」調べるときっと面白いのではないでしょうか。両者とも山車(屋台を含む)に杉を乗せて曳きまわします。