こんにちは。
弱小文化財応援ブログ「おらがまち」のまちこです。
館山市船形は、もともと船形村と川名村に分かれていました。
今日はこの川名村こと「川名」の山車についてご紹介したいと思います。
ではでは早速!
川名とは
「川名」は川名濱と川名岡の2地区から成り立っていて、館山市船形地区のもっとも東寄りの地域になります。
旧川名村の村社であった日枝神社と、浜側に鎮座する金毘羅神社を崇敬。
日枝神社と金毘羅神社の縁起等について
日枝神社
創建の年代は不明。
祭神は「大山咋命(おおやまくいのみこと)」で、「山王さま」と呼ばれています。
創立年代はわかっていませんが、この日枝神社がある場所は7世紀ごろから横穴古墳があり、早くから集落があり開けた土地でもありました。
船形地区としては最も古い神社。
現在川名は浜側の方が発展し、江戸時代からも金毘羅神社を中心に祭礼が行われていました。
しかし、日枝神社は川名の氏神として今でも地域の中心的な神社で、7月26日の祭礼には神楽が出祭し集落の家々を回り、川名の重要な神事はここを中心としています。
金毘羅神社
江戸時代末期に創建されたといわれています。
四国から漁に来ていた人たちと地域の住人が協力して、現在の地に四国の金毘羅さんを勧請。
海上安全や豊漁を願って建てられました。
明治から大正の頃には四国から大勢の漁師がやって来ており、金毘羅神社は最盛期。
船形の合同祭に際して山車を出祭しているのはこちらの神社で、川名の祭礼を中心でもあります。
各神社の例祭も毎年行われる
船形の祭礼の特徴は、合同祭の他に各神社での例祭があります。
さながら小規模なお祭りといった様相で、夜店(出店)が出たり、太鼓や笛の演奏が行われます。
川名は日枝神社は例祭日を7月26日としていますが、金毘羅神社は7月9日を宵祭とし出店があります。
金毘羅神社はこの前日7月8日に「しおごり神事」が行われ、お祓いを受けた青年が木遣を歌いながら浜と神社を3往復し、真新しい砂を神社に奉納します。
最近は規模こそ小さくなりましたが、この船形の「宵祭(よいまち)」は昔から続く祭礼行事の一つです。
ほかに日枝神社は正月のお水取り・7月27日に神楽を出祭、金毘羅神社は1月10日におびしゃを行っています。
船形地区祭礼
毎年7月の最終土日に開催される船形地区の合同祭。
以前は7月26・27日を祭礼日としていましたが、曳手不足などで変更となりました。
川名はかつては川名村としてありましたが、明治12年(1879)の合併に伴い船形村と合わさり、船形地区へ。
船形合同祭はこれをきっかけに開催されるようになりました。
合同祭としては館山市の那古とともに古く100年以上の歴史あり。
祭礼の流れは、まず川名以外の全山車・屋台・御船が川名の山車を迎え川名の浜へ行き、今度は川名の山車とともに全地区が堂ノ下の浜までやって来ます。
その後堂の下の浜で「御浜出」をした後、船形の港に集合した後、各山車はそれぞれの地区へ帰って行くのが大まかな順路です。(※残念ながら現在は御浜出は行われていない)
川名の山車について
左正面
現在の山車は昭和に製作されたもので、彫刻師は後藤義孝により昭和11年に完成。
人形は「臨月の神功皇后」です。
特徴は囃子座の全面の細微な彫刻と頭上に掲げた瓔珞(ようらく)をくわえた鳳凰。
彫刻などの写真いろいろ
真正面
左側面
右側面
側面後ろ
彫刻細部
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