おらがまち

歴史大好きまちこ主催!弱小「文化財」応援ブログ!

船形の根岸は船形地区の始りの地。ここの屋台に彫られた正面の龍は迫力満点!

こんにちは。

弱小文化財応援ブログ「おらがまち」のまちこです。

 

館山市船形の住所1番地に建つ根岸の鎮守。

ここから船形の地は出来上がっていきました。

 

今回は、この船形の始りの地「根岸」の屋台をご紹介します。

 

ではでは早速!

根岸とは

「根岸」には船形の住所1番地があります。

「木の根街道(大街道)」と呼ばれる古道があり、中世から開けた土地でもありました。

「根岸三荒神」御霊様・大六天様・かま土神社の縁起等について

3神社がある根岸ですが、成り立ちはこの神社の立地している場所からも推測することが出来ます。

それぞれの神社の詳細は下記に記載します。

御霊様

御祭神は「高皇産霊神(たかみむすびのかみ)」。

 

創建等はわかっていませんが、船形の住所1番地に建つ神社です。

船形地区の起点となった場所でもあり、かつてここにあった初期の根岸の街道を守った鎮守でもあります。

御霊様(ごりょうさま)、御霊神社(ごりょうじんじゃ)ともいわれています。

 

「ものを生み出す力」を持っているといわれる高皇産霊神は民間ではあまり信仰をされておらず、祀る神社もそれほど多いものではありません。

 

また、御霊神社というと「御霊=怨霊」を鎮めるための役割があり、その御霊神社になぜ高皇産霊神(たかみむすびのかみ)が祀られているのかはよくわかりません。

恣意といえば高皇産霊神は厄除けのご利益があるので、御霊(怨霊)除けのために祀られたのかとも考えられますが、詳細は不明です。

 

大六天様

御祭神は「牛頭天王(ごずてんのう)」。

 

根岸の住民を守るために集落の中心に建てられた神社です。

元禄地震までは入江だったそうで、現在の建物は近年建てられたもの。

創建年代などはわかっていません。

 

大六天神社(第六天神社)は、神仏習合により出来上がった神社の一つです。

本来の祭神は「他化自在天(たけじざいてん)」。

江戸時代末までは関東を中心に多くありましたが、明治の神仏分離による東京近郊に残されるのみとなりました。*1

 

かつては「天王さま」と呼ばれていたのか、根岸では牛頭天王が御祭神です。

民間信仰は結構なんでもござりの世界なので、「天王」とつけば「須佐之男命(牛頭天王)」、「天神」とつけば「菅原道真」という安直なひもづけがされてしまうこともあります。

 

しかし、いずれの神にしても「荒ぶる神」「怨霊」として恐れられていた神様にはちがいありません。

ここにも「根岸三荒神」の名称の由来がみれます。

かま土神社

御祭神は「奥津彦之命(おきつひこのみこと)」。

 

竈(かまど)の神、火の神、そして荒神としても知られた神様です。

はなはだ暴れやすく祟りやすい神なので、大変恐れられています。

 

家の中の台所の神様として祀られていることが多く、神社として祀られていることはほとんどありません。

珍しいタイプの神社だと思います。

 

家の守り神として信仰されていますが、これが屋外に祀られるようになると土地の守り神として祀られることがあります。

 

「根岸三荒神」の3神社にはいずれも「荒ぶる神」に関係するもので、それを鎮めたい、厄除けしたいという気持ちが強く表れているように感じられます。

 

一説には間近に迫っていた海の荒々しい波を恐れていたため、このような祀り方をしたのではないかとされています。

もしくは、船形の大筋の街道があった根岸は、街道から侵入する外敵(怨霊などのようなものを含める)を恐れ、集落の移動と共に神社を建てこれを鎮め、やがて3神社が成り立つと「三荒神」として崇めたのではないかとも思われます。

 

地元では「さんこ様」と呼ばれていますが、3神社が成り立ったためその名称がついた、または「3番目」に作られたから「三個様」と呼ばれたのか、成り立ちや名称については確たる説はありません。

 

 

御霊様 ⇒ 大六天様 ⇒ かま土神社、という順番で地理的にも発展して行った経緯がよくわかる地域です。

しかしどの神社も崇敬されつづけ、今でもお正月3日には「根岸三荒神」3神社で、合同祭事が行われています。

 

各神社の例祭も毎年行われる

船形は合同祭の他に各神社での小さな例祭が行われる面白い地区です。

夜店(出店)が出たり太鼓や笛の演奏が行われ、その日は地区が盛り上がる日でもあります。

規模こそ小さくなりましたが、「宵祭(よいまち)」とよばれるこの祭礼はは昔から続く行事の一つです。

 

根岸では、かま土神社で6月19日に開催されます。

船形地区祭礼

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毎年7月の最終土日に開催される船形地区の合同祭です。

以前は7月26・27日を祭礼日としていましたが、曳手不足などで変更となりました。

 

もともと船形村と川名村とわかれていましたが、明治12年(1879)の合併に伴い船形地区へとなりました。

船形合同祭はこれをきっかけに開催されるようになりました。

合同祭としては安房でも古く、100年以上の歴史があります。

 

祭礼の流れは、まず川名以外の全山車・屋台・御船が川名の山車を迎え川名の浜へ行き、今度は川名の山車とともに全地区が堂ノ下の浜までやって来ます。

その後堂の下の浜で「御浜出」をした後、船形の港に集合した後、各山車はそれぞれの地区へ帰って行くのが大まかな順路です。(※残念ながら現在は御浜出は行われていない)

 

祭礼にときには、かま土神社で「潮ごり神事」が行われています。

根岸の屋台について

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右正面

大正8年に地元大工:青木友次郎が製作しました。

彫刻は後藤滝治義光・後藤喜三郎橘義信の作と言われています。

以前は山車でしたが、現在は人形屋台。

 

 正面・背後にある破風に絡む龍の彫刻は圧巻です。

彫刻などの写真いろいろ

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側面

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真後ろ

船形の祭礼についてもっと知りたい方はこちらも

*1:東北にもいくつかありますが、長野・静岡以西には皆無。