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船形大塚の山車は南房総最大級。安房の名工後藤義光による彫刻が立派な山車。

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こんにちは。

弱小文化財応援ブログ「おらがまち」のまちこです。

 

かつては館山市一の港町として栄えた船形地区には、現在も有数の山車や屋台があります。

中でも「大塚」の山車は、安房の名工:初代後藤利兵衛橘義光による作品で、大変立派な彫刻を見ることができます。

今回は、この「大塚」の山車をご紹介!

 

それでは早速!

大塚とは

館山市船形の中心にあたる地区で、港よりの海岸沿いに広がります。

鎮守は、船形漁港のすぐにある神明神社です。

神明神社の縁起等について

由来や縁起等については不明ですが、関東大震災以前はここに白木造りの神社が建てられていました。

今の社はコンクリート製のもので、海風や波により劣化が激しいことからこの形へ変更したそうです。

 

昔から海の影響を受けてきた地区でもありますが、海岸沿いには風よけの石垣が建てられ現在もその名残をみることができます。

 

しかし、岬のように突き出た場所で南側にはすぐ波が押し寄せ、岩の上に建つ神社や近くにある松の木などの風情から、絵葉書にもなった名所でもあり、美しい環境にあったようです。

各神社の例祭も毎年行われる

船形は地区の合同祭の他に、各神社の例祭が行われるのも面白いところ。

夜店(出店)があり、太鼓や笛なども演奏され、さながら小さなお祭りの日となります。

 

最近は規模こそ小さくなりましたが、今でもしっかり続けられている地域の行事となっています。

 

神明神社の例祭日は5月13日に近い日に宵祭(よいまち)が開催。

また、1月15日に近い日に「おびしゃ」も行われています。

船形地区祭礼

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7月26・27日を合同祭として開催されていましたが、今は曳手不足などで7月の最終土日に開催さるようになりました。

 

船形はかつて船形村と川名村の二つの地区に分かれていましたが、明治12年に合併され、これを機に祭礼が合同で行わるようになりました。

 

全山車・屋台が川名の山車を迎え川名の浜へ行き、今度は川名の山車とともに堂ノ下の浜まで来ます。

その後堂の下の浜で「御浜出」をした後、船形の港に集合した後、各山車はそれぞれの地区へ帰って行くのが大まかな順路です。(※残念ながら現在は御浜出は行われていない)

 

 

この他に毎年10月の3連休に行われる「南総里見祭り」にも出祭することがあります。

こちらは参加不参加はその時の地区の判断によりますので、毎年必ずいる保証はないのであしからずご了承ください。

大塚の山車の特徴

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大塚の山車の最大の特徴は、その大きさ。

南房総で最大級のサイズとされ、並ぶ他の山車に比べても少し大きいと見た目だけでも判断できます。

 

さらに彫物は、安房の名工:後藤利兵衛橘義光による彫刻で、正面から見ると六重の彫刻となって見えるほど精巧なもの。

 

現在の山車は明治20年に神奈川県の浦賀から購入したもので、骨組み自体は江戸時代末期のものと言われています。

 

三浦半島に出稼ぎに行っていた船形の漁師が、この浦賀の地区で維持できなくなったものを売りに出している(骨組みの状態で)という話を伝えたところ、長老の武田某と志村某が中心となってこれを買い求めたそうです。

 

この山車は西浦賀の現:叶神社にあったもので、初代:後藤利兵衛橘義光が拝殿の扉・格天井・欄間、木鼻の獅子などを彫り(銘:「後藤利兵衛光定」)、出世作として名声を高めた神社でもあります。

 

縁あって、再び後藤利兵衛橘義光に明治20年に依頼し、明治23年に完成に至りました。

実際の工作機関は5~6年ともいわれ、長い年月をかけて製作されたようです。

 

平成2年に大規模な改修が行われ、美しく生まれ変わっています。

人形は「神武天皇」。

大塚の山車の彫刻など写真の色々

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正面からみた側面

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正面

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正面アップ

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後ろ側面

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