おらがまち

歴史大好きまちこ主催!弱小「文化財」応援ブログ!

神社を知りたい日本人。日本人なのにどうして?だって日本の宗教じゃないの?

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こんにちは。

弱小文化財応援ブログ「おらがまち」まちこです。

 

突然ですが、「神社」と「お寺」どちらについて知りたいですか?

 

個人的にすごく気になったので、検索ボリュームなどを調べることができるサイトで、確認してしまいました。

 

これ

 

結構な格差で

 

圧倒的に

 

「神社」のことを知りたい人が

 

 

多いんです。

 

 

 

その差、云十万と云万とゼロの数が一つ変わるほどです。

どうしてなんでしょう。

 

今回はこのなぜ「神社」のことを知りたいのか、その辺を深く掘り下げてみたいと思います。

 

ではでは早速!

日本人なのに神社のことよく知らない?

「神社」ってどんなところですか?

と聞かれて、どんなところか答えられる日本人ってなかなかいないかと。

 

でも、答えられないのは当然。

 

それはあなたが日本人だから。

なんせその「よくわからない」は、1000年以上も刷り込まれてきた日本人の感覚なんです。

外国の方なら簡単

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だから日本人じゃない外国の方なら、「神社」を簡単に理解することが出来ます。

 

『日本独自の宗教「神道(しんとう)」の宗教施設。』

 

本来はたったこれだけのくくりなんです。

 

 

神社はわたしたちのすぐ身近にあります。

初詣をはじめ、七五三やお祝い事には欠かせない宗教施設です。

 

でも、ここにお寺が登場してくると急にややこしくなってきてしまいます。

 

だって、初詣は神社にもお寺にも行きますよね。

おみくじだって神社にもお寺にもありますし、神社じゃないのにお寺に鳥居があったりすることもありませんか?

 

この神社とお寺の曖昧さが、「神社ってどんなところ?」という疑問を生んでしまうのかと。

神社とお寺はごっちゃが当たり前

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神社とお寺の境界の曖昧さは、日本では当たり前。

 

でも、それぞれ神道や仏教の宗教施設であることに変わりはありません。

なのにどうしてこうも曖昧な関係になってしまったのか。

 

これは、遥か1000年以上も前に遡ることが出来る、ちゃんとした理由があるんです。

 

それは「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」という日本独自の考え方のせい。

 

外国の方も「神社」と「お寺」がどんなものかはちゃんと知っていますが、日本にやってくるとこの「曖昧さ」に戸惑います。

 

簡単にいうとこの「神仏習合」は、神道と仏教を合体させた考え。

 

神道も仏教も体外に影響し合う関係にあるというもので、奈良時代のころからはじまったものです。

神仏習合が「曖昧さ」を生む

奈良時代というと今から1200年以上も前。

 

そのころは仏教が日本にやってきて少し落ち着いた頃になります。

 

それまでは神道が日本の宗教の中心でしたが、仏教が伝来してきたことで日本の宗教史の中で大きな転換期を迎えます。

 

 

ではここで問題です!

 

仏教は日本の国の宗教となったでしょうか。

 

 

正解は、「はい、国家的な宗教」となりました。

奈良時代には天皇が精力的に仏教を全国展開しようとしています。

奈良の大仏なんかも建立されて、天皇をはじめ国家として大々的な布教活動が行われています。

 

 

ではもう一つ問題です。

 

こんなに勢いのあった仏教によって、神道は駆逐されてなくなってしまったでしょうか。

 

 

答えは、もちろん、なくなっていません。

 

今でも神道の宗教施設はなくなっていませんし、わたしたちに大変身近な存在です。

 

 

仏教がやって来ても、神道はなくなりませんでした。

では、どうなったのか。

 

 

合体しちゃったんです。

 

これが「神仏習合」。

 

日本にとって神道も仏教もなくてはならない宗教として存続して行きますが、それぞれ独立した形ではありませんでした。

 

神道の神様が仏教の仏様に帰依(きえ:教えを請うこと)したり、仏教の仏様が神道の神様に仏教の守護をお願いしたりしたと、相互関係が出来上がって行きます。

 

それがやがて「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」という究極の形へなります。

 

仏様が神様に変身したり、神様が仏様に変身したりして、本来は一つのものであるかのような考え方に辿り着いたってわけです。

 

そうすると、宗教施設である神社とお寺にも変化が現れます。

 

仏様が神様に守護してもらうのに宗教施設が遠くに離れていると不便ってことで、お寺の中に神社を建てたり、その逆に神社の中にお寺を建てたりします。

 

ほかにも相互関係にあるんだから、お寺のすぐ近くに神社を建てたりその逆もしかり。

 

名前も「神宮寺」という名前が付けられた神社ともお寺ともいえない微妙なものもできます。

「神宮」は「神社」のこと、「寺」はもちろんそのまま「お寺」。

二つを合体させたような曖昧の象徴のような宗教施設ですね。

 

このように考え方だけではなく、施設そのものにも「曖昧さ」の拍車がかかっていきます。

 

これがざっと1000年以上続きます。

ほぼ日本史の半分以上を占めます。

 

わお、です。

100年と1000年では太刀打ちできない

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ところがこの1000年以上の「曖昧」は、明治に入ると消し去られてしまいます。

 

これが「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」というやつです。

 

明治政府は天皇を中心とした国家の成立を目指していましたので、日本の本来の宗教である神道を復活させるために、仏様との分離を指示します。

いわゆる「神仏分離令」というもの。

 

神様は神様、仏は仏の本来の形に戻すように上からの命令。

 

まぁ、これで「ハイ終わり」とならなかったのが、わたしたちもよく知るところ。

 

だって、いまだにわたしたちは「神社とお寺」の区別がつきませんよね。

 

しかも、廃仏毀釈のときに神社やお寺が全部建て直されたのならまだしも、そんなことおきませんでした。

 

今でもお寺の中に神社があったりしますし、鳥居が残されているお寺なんてのもあります。

冒頭にもお話したように、初詣に行くのはどっちでもいいし、おみくじもどっちでも引けますよね。

 

だから、物理的にも精神的にも完全に「神社」と「お寺」を完全にわけることはできなかったんです。

 

この1000年以上も続いた考えは、わたしたち日本人にとって大変都合がよいものだったし、日本人にあった感覚だったのがよくわかります。

今でも消えていないのがその証拠。

 

 

100年と1000年だったら、そりゃ1000年が勝ちます。

f:id:oragamatiko:20180801153116j:plain神仏習合を詳しく知りたい方はこちらの記事へ

もはや遺伝子レベル~まとめ~

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日本人ほど白が好きな民族はいないといいます。

なんで白が好きなんて考えたことありますか?

 

これも理由があります。

 

白は太陽の光に通じる色とされています。

日本では太陽は神の象徴。

伊勢神宮の天照大御神をはじめ、初日の出やご来光なんてみんな知っている神聖なものですよね。

 

だから好き。

だから車は白が好き。

道路を走る車が真っ白ばっかりなんて、日本だけらしいです。

 

 

日本人はよく無宗教といいますが、これは裏を返せば「無宗教という宗教」なんだと思います。

それは、もはや遺伝子レベルです。

白が好きな理由なんて普通知りません。

 

無意識のうちに色々やっていたり、知らず知らずのうちにそうなっていたりします。

 

 

「神社」を知りたいけどよくわからないのは、それはわたしたちが日本人だからにほかなりません。

 

この面白い感覚も1000年以上も続いた文化の賜物だと思うと、ちょっと誇りに思える気がしますよね。

 

それなのに100年前に急に別々にしろといわれても土台無理な話し。

 

そしてなにより、現代のわたしたちがあまりにも身近であった神社から、遠のいた生活をしているのが一番の原因かも。

 

身近であったから知っているべきことなのに知らない。

でも知らないと生活できない。

だから知りたい。

 

でも、知れば知るほどよくわからない。

だから知りたい。

 

こんな矛盾のなかにいる今だからこそ、この記事がきっかけになればと思います。 

神社の謎は、奥が深いのです。 

決して宗教の勧誘とかではありません(笑) 

 

神社が知りたいあなたは、まさに日本人ってことにほかならない。

 

 

以上「おらがまち」まちこでした。