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木鼻の彫刻は龍に獅子に象と盛り沢山!古建築の見どころはこんなところにもある。~日本建築の見方~

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こんにちは。

弱小文化財応援ブログ「おらがまち」まちこです。

 

今回は、神社やお寺に行ったら絶対に見てる「あの部分のあの彫刻」についてご紹介したいと思います。

 

そこには、龍やら獅子やら象やら、植物だったり雲だったり、とにかく種類が盛り沢山。

 

その名も「木鼻(きばな)」。

 

それではマニアックな世界へ!

木鼻とは

kibana

お寺や神社の正面に立つと必ず、向拝の左右に鎮座しているあの彫刻たちですが、実は建築上の部位になり、「木鼻(きばな)」と呼ばれています。

 

古代の仏教伝来とともにやってきたのかと思いきや、鎌倉時代以降の日本第二次仏教ブームの時にやってきた技術になります。

建築的にみた役割

縦の柱を貫通し突き出た横部材の先端部分で、「木の端(きのはし)=木端」が転じて「木鼻」と呼ばれるようになりました。

 

中国や韓国にも同様に木鼻はありますが、これだけ装飾に特化したのは日本独特の発展。

 

実はなくてもいい部分なので、建築構造上の役割はあまりないとされます。

強いていえば、設置した柱の頭部が開かないように木鼻を残したとも言われています。

鎌倉時代以前

「木鼻」という技法を知らなかったため、そもそも「木鼻」はありません。

 

柱を突き抜けた横材が無かったら、それは木鼻の技法が伝わる鎌倉時代以前のものとわかります。

鎌倉時代以降

縦柱の上部を刳り抜いて、そこに横部材を置きました。

 

これによりただ木の切り口を残すより、装飾を施そうと「木鼻」の装飾化がはじまります。

江戸時代に入ると

伝来当初は一本の横部材を利用し、その両端に装飾の彫刻を彫っていましたが、江戸時代になると、木鼻は木鼻、横材は横材と分けて設置されるようになります。

 

これを「掛鼻(かけはな)」と呼ぶこともあります。

 

なのでこの頃に作られた彫刻は転用がし易く、寺社を再建するときにこの木鼻の彫刻を再利用するところも多いです。

 

 

こんな感じで、ざっと3時代変遷があります。

 

江戸時代以降は彫刻ゴテゴテと覚えておくだけでも面白いです。

装飾が追及されていく

というわけで、木鼻が誕生するとそれを装飾することへの執念?が注がれるようになります。

 

木鼻をメインに寺社散策をすると、大体江戸時代中期以降のものが多くなります。

 

その種類は龍や獅子、象、植物や雲など様々な形がありますが、お寺だったら宗派によって、神社だったらこれらを応用して設置された経緯がありますので、さらに種類に富んでいます。

 

導入された時代は違いますが、「蟇股(かえるまた)」とともに発展してきた経緯が木鼻にはあります。

f:id:oragamatiko:20180801153116j:plain「蟇股(かえるまた)」を知りたい方はこちら

木鼻の種類

大仏様

鎌倉時代に中国からやってきた仏教の建築様式で、「大仏様(だいぶつよう)」とよみます。

 

はじめはシンプルで重厚なつくりのものでしたが、龍や獅子のように彫刻にアレンジが出てきたのはこの様式の部類です。

 

 

余談ですが、わたしは「大仏様」を覚えるのに苦労しました。

 

なんせ、この大仏様が入ったきっかけが奈良の東大寺復興のためといわれ、よく「奈良の大仏様(だいぶつさま)」と混同されてしまうからです。

奈良の東大寺といえば、奈良時代のお寺ですよね。

 

奈良時代のお寺(奈良の東大寺)を、鎌倉時代に復興させるために入った様式「大仏様」で直した。

 

って、奈良奈良奈良奈良、大仏大仏大仏大仏と言ってたら、いつのまにか頭の中では「奈良時代の建築様式」の図式が!

 

昔は「天竺様」とかいってましたが、いずれにしてももうちょっと覚えやすい名前がいいなぁ、と毎回思ってしまうのはわたしだけだろうか。

 

ちなみに仏教伝来当初の建築様式は「和様(わよう)」といいます。

禅宗様

「禅宗様(ぜんしゅうよう)」は、覚えるのは簡単。

鎌倉時代に流行った禅宗ですし、鎌倉時代に入ってきた木鼻には大きな形の変更がないからです。

 

シンプルな波型だったものが、やがて複雑なデザインになっていきますが、大仏様のように華美な彫刻へは変化しませんでした。

神社

神社はこれの二つの様式を足していいとこどりをし、さらに神社の様式に合わせて変化して行きました。

 

なので、木鼻自体はお寺より後発。

 

神社に行くと、木鼻に龍や獅子の彫刻がされているのが当たり前だと思われがちですが、本来は仏教建築からやってきた技法です。

まちこの地元の宮彫師たち

木鼻は本来切って捨てる部分で、とくに建築上重要なものではないとされます。

 

なので装飾をメインとした考えが強く、江戸時代以降になると、宮大工がその部分だけを他所に発注する形が増えてきました。

外注ってやつですな。

 

そうした中で関東近縁で人気があったのが、波の伊八や後藤義光などがいます。

いずれも安房(南房総)出身の宮彫師で、伊八は言わずもがな「波」を、後藤義光は「龍」を得意としていました。

 

寺社だけでなく、神輿や山車などの彫刻を手掛けており、南房総では各地で彼らの意匠を見ることができます。

 

まちこがバシバシ宣伝している写真集があります。

興味があるかたはこちらをチェックしてみてくださいね。

木花の彫刻は面白い~まとめ~

わたしたちがお寺や神社に行くと、お賽銭を入れて参拝をしますが、その正面にちらちら見える彫刻は、この「木鼻」や「蟇股」「懸魚」などになります。

f:id:oragamatiko:20180801153116j:plain「懸魚(げぎょ)」を知りたい方はこちら

そもそもはいずれもシンプルな作りのものでしたが、日本において独特の発展をとげて行きます。

 

ちょっとした所にちょっとしたこだわりを持った昔の大工さん達の技術の面白さが伝わってきます。

 

木鼻だけでなく、こんなとこ見てなにかわかるのか?ってとこに大工さんの真骨頂があったりしますので、寺社にお参りにいったら色々なところを見渡してみて下さいね!

ちなみにまちこは「懸魚(げぎょ)」が好きです。

 

 

以上「おらがまち」まちこでした。