こんにちは。
弱小文化財応援ブログ「おらがまち」のまちこです。
今日は南房総にある御船の中で、由来がはっきりし最も古い「國司神社」と「國司丸」についてご紹介ます。
國司神社とは
鳥居正面
館山市街地を抜け館山港の辺りに位置する館山市柏崎地区にあります。
海上自衛隊がすぐ近くにあるので比較的地図を見てもわかりやすい。
前面の道路(県道257号)は広いのですが、近くに駐車場などはありません。
創建等、縁起について
境内様子
國司神社は、平安時代にまで遡ることができます。
御祭神は神様ではなく、人物で「源親元(みなもとのちかもと)」。
親元は安房の国司として京から赴任してきた人物で、柏崎で数々の善行を行ったと伝えらています。
お堂(現:泉光院)を建てたり、大房の竜善院を七堂伽藍にしたり、総持院(沼の大寺)、沼の天満神社、鷹ノ島の弁財天、沖ノ島の宇賀明神の創建や、清澄寺を再建したりしたそうです。
※自腹です。
それに感銘した柏崎の人たちは任を終えて都にかえる親元を引き留めますが、親元は直衣(のうし)の左袖を残して帰路に着きました。
直衣:当時の平常時のこういった形の服のこと
ところがその後親元が死んだことを知ったこの地区の人々が、その死を悲しみ小洞を作り、この直衣を祀りました。
これが國司神社のはじまりと言われています。
これは言い伝えなので、史実的には不確かな部分が多いです。
しかし、この小祠を建てたのが永久2年(1114年)のことといわれていますので、平安時代後期頃には何らかの形が出来上がっていたことは確かかと思われます。
拝殿
國司神社の例祭日は、親元がこの地を去った1月16日で、オビシャ(御奉射)が行われます。
また、夏祭りとして、8月1、2日に館山地区のお祭りにも出祭。
拝殿向拝
拝殿向拝木鼻
平成20年館山市無形民俗文化財として「柏崎の御船歌」(かしわざきのおふなうた)登録されています。
1月16日の柏崎のオビシャと、8月1、2日に行われる館山地区祭礼のときに聞ける。
上演内容等は以下の通りです。
歌は「國司丸船歌」と呼ばれる祝い歌に始まり、「皇帝」、「正月くどき」(2種)、「初春」(2種)、「鹿島くどき」、「八幡くどき」、「道中くどき」、「四季」、「西の宮」、「入船紀州祝いの谷」が伝えられいます。
しかし現在は、正月のオビシャの時に「國司丸船歌」と「正月くどき」が、8月の祭りには「國司丸船歌」と「皇帝」のみが歌われています。
國司神社の祭礼には、御船山車の曳き回しが行われ、お囃子(サンギリとバカバヤシ)を演じた後、御船歌とお囃子が組み合わされて奉納されます。
祭礼時の御船歌はヨミヤ(宵宮)である8月1日の夜、國司神社の前で奉納され、2日には出発場所である國司神社前で演じられた後、沼・柏崎から宮城の熊野神社、笠名の神明神社、大賀の御滝神社の前で奉納されます。
(市指定)柏崎の御船歌 | 館山市役所より引用
館山地区祭礼
館山の中心、館山城のすぐ下に館山神社があり、館山地区の祭礼は、この館山神社を中心に行われます。
もともとはそれぞれの神社・地区で祭礼が行われていましたが、大正3年に始まった区の合併にともない、國司神社のある柏崎も館山市の一部となり、これに伴い館山地区の祭礼へ参加することとなりました。
國司丸の他、御船明神丸や山車、神輿も出祭し、大変賑やかで豪華なお祭り。
各地区の伝統芸能も披露されます。
この他に毎年10月の3連休に行われる「南総里見祭り」にも出祭。
こちらは参加不参加は自由なので、毎年必ずいる保証はないのであしからずご了承ください。
國司丸とは
正面
船型の山車「御船(おふね)」
船の形をした山車のことを、南房総では通称「御船(おふね)」といいます。
國司神社の「國司丸(こくしまる)」は、左側の艫の支柱に文化14年の墨書があります。
制作年自体は文化7年(この年の御船の図面が残されている)とされ、大変古い御船。
昭和8年、32年、平成9年に改修をしているため、当時の部材はほとんど残っていませんが、御船の形は古いもので大変貴重なものです。
後藤福太郎橘義道、後藤滝治義光によって彫られた彫刻が國司丸を飾ります。
國司丸写真
真正面
側面後ろ
背面
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