こんにちは。
弱小文化財応援ブログ「おらがまち」まちこです。
今回は全国でも珍しいお神酒を自己製造する神社、南房総市沓見にある莫越山神社についてご紹介します。
ちなみにお酒を造っている神社は全国で4社。
安房の開拓史にもかかわったとされる歴史ある神社です。
それでは早速みてみましょう!
沓見莫越山神社の基礎知識
御祭神
安房開拓史に関わった祭神が祀られています。
主祭神
手置帆負命(タオキホオイノミコト)・・・工匠祖神、讃岐忌部氏の祖神
彦狭知命(ヒコサシリノミコト)・・・小屋安大神、紀伊忌部氏の祖神
相殿神
彦火々出見尊(ヒコホホデミノミコト)・・・敷物の祖神
豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)・・・安産育児の神
鸕鷀草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)・・・海上安全の神
合祀神
天照皇大御神(アマテラスオオミカミ)・・・太陽神、日本聡氏神
誉田別尊(ホンダワケノミコト)・・・八幡さま、文武の神
若宮神社(境内社)
主祭神
小民命(コタミノミコト)・・・莫越山神社を創祀した神、工匠の神
御道命(オミチノミコト)・・・莫越山神社を創祀した神、家宅守護の神
相殿神(数が多いので割愛)
宇迦之御魂神(ウカノミタマ)、日本武尊(ヤマトタケルノカミ)、大物主命(オオモノヌシノミコト)他、全10柱
縁起
創立は神武天皇元年、安房の開拓史のころになります。
日本の初代天皇といわれる神武天皇の命令をうけて、天富命(アメノトミノミコト)が忌部一族を引き連れて安房にやって来ました。
当時一緒に随伴していた、小民命(コタチノミコト)と御道命(オミチノミコト)がこの地に手置帆負命(タオキホオイノミコト)と彦狭知命(ヒコサシリノミコト)をまつったことが始まりとされます。
一の鳥居正面
西暦にそのまま直すと紀元前660年になり、弥生時代創世期にあたりますので、そのまま鵜呑みにすることは出来ないかもしれませんが、縄文時代の遺跡や古墳跡、条理跡なども周辺にあり、昔から開けた土地であったことには違いないようです。
源頼朝や里見氏、徳川氏により代々寄進が行われ、領主の祈願所でもありました。
拝殿正面
社殿や鳥居、狛犬などは明治以降の比較的新しいものが多いですが、これは「祖神講」によるもので、江戸時代に作られた組合のようなものです。
祭神のご利益にあやかり、大工さんや職人さんなどの組合が寄進したり改修の工事をおこなったりしました。
「講」ってなに?
御利益
1、大工職人や建築業者の信仰
主祭神の2柱である手置帆負命と彦狭知命は、上棟式で神主さんが祝詞を唱えてお祈りする神様としても知られています。
江戸時代末期から建築関係の信仰を集め、鳥居など多くの寄進を受けた神社でもあります。
そのため木工関連の職人や建築関係の人に大変ご利益があるとされています。
2、畳の神様
彦火々出見尊は穀物神、稲穂の神として祀られていることが多いですが、莫越山神社では家屋の神さまが祀られていることから、敷物・畳の神様として信仰されています。
インテリア関係の方の信仰もあり、住宅関連のご利益がアップする神社でもあります。
3、家屋に住むすべての人にご利益がある
莫越山神社は家屋の神様や畳の神様などが祀られていることから、「家屋すべて」に関係する職人、さらにはそこに生活する人間にもご利益があるといわれています。
OnePoint忌部氏ゆかりの神社
手置帆負命は讃岐忌部氏の祖神で、彦狭知命は紀伊忌部氏の祖神です。
忌部氏氏の祖神は、天太玉命(アメノフトダマノミコト)に従って頑張った5神のうちの2神でもあります。
忌部氏は古代、朝廷で祭祀を行っていた氏族で、ライバルとでもいうか相方に中臣氏がいました。
「中臣鎌足(なかとみのかまたり)」なんていうと、中臣氏は隆盛を誇っていた一族だなぁって思いますが、忌部氏ってあんまり有名じゃありません。
しかし、中央は中臣氏でも地方は違いました。
地方の忌部氏は朝廷に様々な品物を献上し、職業集団として活躍します。
そのため、今でも地方には「いんべ」と名をもつ人がたくさんいます。
なので、忌部氏関連の神社は何かを作るご利益があるとされ、職人関連の人たちの信仰をあつめるようになりました。
技術上達やアイデアを生むご利益がある神社として今でもパワースポットとして有名です。
ちなみに中臣鎌足は後に「藤原氏」に改姓し、その血統は平安時代に権力の最盛期を迎えます。
他の中臣氏も「大中臣氏」とされ、藤原氏の一族として祭祀をつかさどる事となります。
こりゃ勝てん。
御朱印
社務所兼神輿庫
境内左手に社務所がありますが、こちらに人は常駐していません。
御朱印は宮司さんのお宅でもらえます。
一の鳥居右手に大変広い駐車場がありますので、道路に停めずこちらに停めましょう。
酒造神社と論社
お神酒を作る神社
全国には「御神酒清酒醸造免許神社」が4社あります。
伊勢神宮、出雲大社、岡崎八幡宮、そして沓見莫越山神社です。
この御神酒を作るお仕事、1300年以上前から続く神事として南房総市の指定文化財となっています。
お酒造りは昔から国の管轄で、現在も「酒税法」にのっとって免許のない場合は警察の御用となってしまいます。
なので、自分でお酒を造ると法律違反になってしまいます。
沓見莫越山神社でも、毎年「やわたんまち(安房国司祭)」にて使用するお神酒が出来上がると、税務署などの立ち入りのもと瓶詰めが行われています。
全国的にも珍しい酒造りの神事です。
残念ながら一般用には販売されていませんが、味は辛口だとか!
沓見莫越山神社のお酒と神輿が大活躍のやわたんまち
沓見莫越山神社と宮下莫越山神社という論社
延喜式という平安時代中期に作られた神社関連のことがいろいろ書かれた国の本、当時の法律にあたる重要なものがあります。
この中には神社の格式や、神社で行われる神事について、宮司のこと、祝詞のことなどが書かれています。
「論社(ろんしゃ)」というのは江戸時から騒がれはじめた言葉で、この延喜式に載っている神社のことについて議論することをいいます。
「論社」に論じられる条件としては以下のとおり
- 同じような名前の神社が複数ある
- しかも同じ御祭神
- しかも同じ縁起
- しかもすぐ近くにある
つまり「同じような神社がいっぱいあるけどどれが延喜式掲載の神社かわからない」ことを論じるのが「論社」になります。
この延喜式に名前が載ることは、神社にとって一種のステータスみたいなもので、江戸時代にこぞって論じられました。
この沓見莫越山神社にも同名の宮下莫越山神社があります。
便宜上、それぞれに地区の名称をつけて区別していますが、どちらも本来は「莫越山神社」です。
もちろん名前だけでなく、御祭神も一緒なら縁起も似たり寄ったり。
社殿や宝物などもどちらも古いものがあります。
唯一違うと言えば沓見の莫越山神社は御神酒を作って、やわたんまち(安房国司祭)に神輿を出御させている、ということです。
ただ、これだけでこっちが本筋!っていうのは違っていて、そもそも延喜式も平安時代中期のもので、しかも当時の権力者の思惑プンプンの資料です。
時の権力者が「おれんとこの関連神社だけを掲載してくれ」なんていえば、その通りに書かれてしまいます。
なので、純然たる信仰の書ではありません。
両社とも神武天皇までさかのぼれるとされる神社。
その1000年の中で何事もなく続くってことも稀で、喧嘩別れしたり、地域の住民のお願いで分霊したかもしれません。
通説としては2社論社があると、「奥宮」「本社」の関係であることが多いようです。
安房にある論社はこの「莫越山神社」と「洲宮神社」・「洲崎神社」、「下立松原神社」の3社で、いずれも結論には至っていません。
創建が安房開拓のころにまでさかのぼれるこれらと「莫越山神社」は、いずれにしても中央とのつながりが深かった神社には違いありません。
沓見莫越山神社だけでなく、忌部氏に関連神社は安房にはとても多く、四国との関連性がよくわかる地域かと思います。
安房神社の様に大筋の天太玉命や孫神の天富命を祀らず、あえて讃岐や紀伊の忌部氏祖神を祀っていることも面白い。
また、「阿波」と「安房」で同じ名前を付けた国ってのも謎ですよね。
ほかにそんな国はありませんから。
我が家の祖先も四国からやってきたといわれ、なんだか縁を感じます(笑)
もっと調べると色々なことがわかってくると思いますが、今回はこれにて。
以上「おらがまち」まちこでした。