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神輿は本来担ぐものではなかった?安房神社の神輿から見る神輿の変遷。

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こんにちは。

弱小文化財応援ブログ「おらがまち」まちこです。

 

今回は南房総(安房)の人間としてはすごく気になる安房地方の神輿のお話。

また、神輿が好きな日本全国の皆さんへ豆知識になるお話(?)。

 

夏祭りになんか登場する神輿ですが、そもそも神輿ってよくわからん、って人に読んでもらいたい記事です。

 

登場するのは「安房神社」の神輿。

 

それでは早速行ってみましょう!

そもそも神輿(みこし)ってなに?

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原型は

「神輿」は「みこし・しんよ」と呼ばれ、人間(主に天皇)や神器・依代が乗るものとして造られたのが起源とさています。

 

これを「鳳輦(ほうれん)」と呼び、「貴人」が乗り人が担ぐ乗り物でした。

この「鳳輦」が、神様が乗る乗り物となって今の神輿の原型ができあがったとされています。

 

神輿の特徴といえば頭上の鳳凰です。

鳳凰の他に宝珠の場合もあります。

 

この両者、なにか違いがあるのかと疑問に持つことがありますよね。

 

結論から言えばこの両者の違いは、つまるところ諸説ありよくわかっていないんです。

 

本来鳳凰を掲げるのは天子(天皇)の乗り物だけといわれていますので、それが天皇=神として扱われ神輿に鳳凰が飾られるようになったのか、神輿が流行した江戸時代後期に鳳凰はめでたい鳥であることから多様されるようになり、飾られるようになったのか?

 

逆に宝珠は伝統的な建物によく見られ、神輿もそれ自体が建物=神社という認識のもとで作られたので宝珠型の神輿がある。

もしくはお寺の影響を濃く受けた神輿につけられたのか。

 

しかし、現代においては厳格な決め事はなくその神輿を作る側の人間によるものが多いものと思われます。

 

いずれにしても共通していえることは神様を乗せる乗り物で、だいだい四角形ですが、形状は六角形や樽や人形の形をしたものなど様々です。

神輿の担ぎ方?

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表題に「神輿は本来担ぐものではなかった?」と銘打っていますが、いえいえ神輿はむか~しから「担ぐ」ものです。

でも、現代のように「わっしょいわっしょい」と担いでいたわけではありません。

 

本来神輿は「貴人(きじん)」、尊いものを乗せるための輿(こし)。

なので、「わっしょいわっしょい」言いながらゆっさゆっさしたり、走ったりするようなものではありませんでした。

 

しずしず厳かなのが当たり前。

安全第一です。

 

これは古社における神輿の存在も同じで、いわゆる「神幸(じんこう)」の姿が本来のものとされています。

 

「神幸」とは、神霊が宿った神体や依り代が入った神輿を、氏子地域内を巡ったり、よその宮に行ったりすることをいいます。

「祭礼」もこの「神幸」の一種。

 

前後に氏子や神職、巫女などが付き従い、さながら大名行列のようなものになります。

中の御神体や依代を傷つけてしまうことがないように大事に歩きます。

 

現在のように神輿を担ぐようになったのは江戸時代末から明治大正のころ。

そこから軽く動きを妨げない江戸型の神輿が出てくるようになりました。

 

わたしたちが想像する神輿はこの江戸末以降のものです。

安房を代表する神輿

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安房神社の神輿は古式

南房総にはたくさんの祭礼があります。

どんな小さな神社でも、大体神輿か山車などがあり、極端な話し「神社の数=神輿(山車)の数」といっても過言ではありません。

 

しかも神社に1つではなく、複数所有する場合や現在は出祭していないものの保管されている場合も多く、延べ数を数えたら一体いくつあるのかわかりません。

山車の歴史は江戸後期くらいのものが多いのですが、神輿は古い年代のものや様式も古式に則ったものもあり、大変見どころがあります。

 

安房の神輿には特徴がいくつかあります。

一つは、多くの神輿の屋根の勾配が浅く、一見したところ何か平べったい感じに見えることである。これは・・・(中略)・・・鎌倉から室町時代にかけて、鎌倉からの影響をうけているものと思われる。

 

二つ目には屋根中心の飾りのほとんど宝珠(葱花(そうか))であることで、これも・・・(中略)・・・近代神輿にはあまり見られないものである。

 

三つ目は飾り綱である。渡御の際、屋根飾りの鳳凰や宝珠の根本から一旦蕨手にからめたあと担ぎ棒の半ばへと斜めに張り渡す晒しの・・・(中略)・・・鳳輦の張り綱の流れをくむものである。

房総の神輿ー上総・下総・安房篇(内田栄一)より抜粋

確かに地元の人間には当たり前と思っているこの様式ですが、これこそが特徴であるなんて驚きです。

 

まちこは生まれも育ちも安房なので、安房の神輿を見慣れています。

いや、こんなブログを書いている位なのでちょっと見慣れ過ぎています。

 

なので、他の地域の神輿や比較的新し神輿を見ると「キュッ」と引き締まった腰の括れた美人に見え、ものすごく華やかで煌びやかに見えます。

これは多分鳳凰が乗っていることが多いのでそう感じるのかもしれません。

 

安房の神輿は「ド~ン」と寸胴で、白木造りのものも多く建物を担いでいるというイメージが強く、とにかく重たい印象があります。

 

確かに台輪が110センチ以上の神輿が多く、重量もものによっては500キロ以上のものもありますので、比較的大きい部類の神輿になるのかもしれません。

安房神社の神輿の特徴

この「ず~~んど~~ん」という安房の神輿ですが、安房神社の神輿はこの様式をすべて持ち合わせている上に、台輪上に勾欄を巡らせていること軒先の吹替えしに装飾がないことなど室町時代から江戸初期の古式の形状が見られるそうです。

 

さらに担ぎ棒をがっちり納めるための台輪が16センチしかなく、担ぎ棒を台輪裏に装着しています。

今は金具を使用しがっちり固定されていますが、本来は木の組み合わせ(ほぞ)で固定していたに過ぎなかったと推測されています。

 

どうしてこのような台輪の構造になっていたかというと、昔はゆっさゆっさ神輿を揺らしたり走ったりするようなことがなかったからです。

 

上の項目でも解説していますが、神輿はしずしず歩くのが基本です。

つまり、担ぎ棒は神輿を下から支える力があれば十分だったわけです。

 

それがやがて、江戸末になり江戸神輿のように「わっしょいわっしょい、おいさおいさ」と担ぐようになると、神輿の本体を担ぎ棒から落とさないために金具で固定するようになり台輪に工夫が必要になってきました。

 

江戸時代末ころからの神輿には担ぎ棒を入れるための台輪が厚く、それ以前につくられたものは薄いのが特徴のようです。

 

安房神社の神輿も何度も修復がされたり、新造されたりしたのかもしれませんが、この様式は現在にもなお残っているなんて、大変興味深い意匠ですよね。

また、安房神社の神輿は走ることを前提としたものだったので台輪が厚いと不便だったため、あえて薄い形のままにしたのかもしれません。

 

それでは安房神社の神輿の写真をピックアップしましたので、台輪や安房地方の神輿の特徴を確認してみてください。

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台輪幅122センチで、極端に薄い台輪が特徴。

屋根の紋は十六菊。

安房の神輿はモミ・サシをメインとしていますが、安房神社の神輿は兎角走ることに重点を置いているため、重量が軽いのが特徴です。

現在のものは明治時代に地元の大工が作製。

 

なんでもそうなのですが、こういったものは作ってみると色々わかります。

模型なんかはとくにおすすめで、どこが強度的に弱くてどこが強いのかよくわかるかと。

まとめ

まちこは神輿の専門家ではありませんが、拝読させて頂いたこちらの神輿の本が大変興味深くて持論と共に今回ちょっとまとめてみました。

安房の神輿の特徴をまとめつつ、安房の神輿を担ぐ人たちのすごさも実感することが出来ました。

 

あの形は本来「わっしょいわっしょい、おいさおいさ」と担ぐために作られた形ではないと知ったのも驚きましたが、古い時代の様式を引き継いでいこうという人たちの気持ちも伝わってきます。

 

また、あの大きさの神輿を右に左にとモミサシをする技と力には圧倒されます。

ちなみに担ぎ棒は2本しかありません。

他の地域の方が、安房の神輿の担ぎ方を見るとおそらく、とても危なっかしいやり方と見えるかもしれません。

 

でも、わたしはあの安房のモミサシが一番好きです。

すいません、地元贔屓です。

 

地元の魅力を再認識しつつ、安房の神輿に興味を持ってくださった方がいれば幸いです。

 

安房神社の神輿を見たい方は

のお祭りに足を運んでみて下さい。

 

以上「おらがまち」まちこでした。