こんにちは。
弱小文化財応援ブログ「おらがまち」まちこです。
お祭りの出し物には、「神輿」や「山車」、「山鉾」、「屋台」などさまざまなものがあります。
でも、基本的には大きく2つ。
それは「担ぎもの」と「曳きもの」。
その中でも、「曳きもの」はとにかくいろいろな種類があります。
今回は、お祭りの出し物についてちょっとまとめてみました。
ではでは早速いってみましょう!
お祭りの出し物
お祭りの出し物はとにかくたくさん。
地域や地区によって、その名称もいろいろで、形もさまざま。
それぞれに特徴があり、それぞれの意味があります。
代表的なものを以下にあげてみます。
「担ぎもの」
神輿
古代の貴人の乗り物であった「鳳輦(ほうれん)」から、発展したお祭りの出し物とされています。
神様が臨時に乗る乗り物として神社に置かれ、神社の一番大事なお祭り「例大祭(れいたいさい)」のときに活躍します。
平安時代とか鎌倉時代には、僧兵(お坊さんの兵士)が何か訴えを起こしたりするときに、この神輿を担いで直訴したりしてました。
つまり、それだけ神威のあるもの、神様の象徴だったんです。
やがて華麗な装飾がほどこされ、氏子によって担がれるようになり、「神輿」という形へなっていきました。
江戸時代に今の「神輿」の形となり、「お祭り」というイベントも出来上がりました。
全国的にみても神輿の形は決まっています。
大きく分かれることはなく、日本人なら大体「神輿」といえば「コレ」と想像できるお祭りの代名詞となっています。
神輿の歴史の詳細はこちらの記事へ。
このように「神輿(みこし)」は今や全国各地のお祭りどこでも見られる出し物。
地区ごとに持っていたり、その数はとっても多い。
でも、本来は「宮本(みやもと)」といわれる祭礼の中心神社に1基あるだけで、それ以外の町内では山車や曳山などを曳き回すのが普通でした。
そのため神輿を担げるのは名誉なことで、町内でも氏子が順番に担ぎ手になったり、選ばれた氏子だけに与えられていたようです。
特別なものだったんですね。
では、なぜこれほどまでに需要が増えたのかというと、現代の諸事情。
理由はいたって簡単。
明治時代に入ると電線が各地で張られるようになったから。
これにより大型の山車は、曳き回しが困難になり次第に衰退していきます。
さらに幾度かの戦争や関東大震災などにより、焼失してしまい再興を断念。
今でもそうですが、資金繰りが大変だったからです。
こうして、山車にかわり神輿が主流になっていったというわけです。
「曳きもの」
「曳きもの」と勝手にまちこがつけていますが、そういったくくりは学術的にはありません。
神輿のように担ぐのではなく、大縄や棒を引っ張り「曳き回す」お祭りの出し物です。
だいたい車輪が装着され、曳き回しやすいように梶棒がついたりと各所に工夫がみられます。
担ぐためにつくられていないので、大型のものが多く、ねぷた&ねぶたなどになると幅10mや高さ20mのものなどもざら。
ただ、地域ごとの特色が出やすいのも特徴で、神輿のように全国一律で同じ形というものはほとんどありません。
名前も「山車」とかけども「やま」読んだり「だし」と読んだり、特殊な呼び名のものが多い。
ではでは全国の有名どころのものをピックアップ。
山鉾
「山鉾(やまほこ)」は、いわずもがな京都の祇園祭に登場する山車の一つです。
全国で一番有名な山車。
いやいや世界で有名か。
起源は平安時代。
祇園祭は災厄を除けるために街中を曳き回し、穢れを祓う行為として発展しました。
刺繍や彫刻など、一流の職人や外国で作成されたものなどもあり国の重要文化財に指定されているものが多数。
日本の伝統工芸の粋をあつめたものばかり。
全国の山車の曳き回しの原型はここ。
だから、この山鉾を真似て全国展開していきます。
「山」は古来より神が宿る依代として信仰の対象になるもので、山鉾の山はここからとったとされています。
「鉾」は、光物(刀や槍など)で悪鬼を祓う役目をするために設置されました。
なので、山車には「山」がつくことが多い。
「山」の漢字を使わなくても、無理矢理「やま」と読ませることもあります。
祇園祭の起源について真剣考察してみました(笑)
だんじり
山車の一種ですが、西日本特有の呼び方。
書き方は「地車」「山車」「楽車」などなど。
上下するからくりなどがなく、破風型の屋根を持つものが多い。
彫刻は秀逸。
山車としては、様々なものがぎゅうっと濃縮されたイメージ。
岸和田のだんじりが一番有名かな。
300年以上の歴史があるとされています。
今でこそ「やり回し」といって高速で辻まわりをしますが、これは昭和に入ってから。
それまでは祇園祭のように町内を曳き回すことが使命で、走る!とは無縁だったそうです。
昔は狂言や神楽などが行われていて、どちらかというとこっちがメインでした。
山笠
北九州を中心に展開している山車の形。
やはり原型は京都の祇園祭。
災厄や穢れを祓う意味合いが強いのがよくわかるお祭りで、お祭りの前に山車を作り終わったら即解体。
これは町内の曳き回しで受けた厄を払うという意味が込められています。
博多の祇園祭が山笠のおおもとで、これが各地に伝わって様々な形の山笠を作って行きます。
提灯や人形など、見てるだけでおもしろいのもこの山笠の特徴。
唐津くんちなどで有名な曳山や山車は、この山笠をぎゅっと小型化したものと思われます。
曳山
比較的大型のものが多く、からくりがあったりする。
もちろん神輿サイズの小型のものも。
青森のねぶた・ねぷたに代表されるように、東北地方を中心に日本海側にはこうした大型の出し物が多い気がします。
ちなみに日本で一番大きな曳山は、石川県七尾市の青柏祭の曳山(でか山)は重量約20トン。
山車
山の形を真似ていたり、山を象徴するものを掲げていたりするものを総称して「山車(だし)」といいます。
上記のどれにも分類できない背の高いものはだいたいこちら。
東海~関東で山車といえばちょっと背の高い人形を乗せたものをいうことが多いです。
まちこの地元の南房総もこれが多い。
屋台
山車のように背が高くなく、山を象徴するようなものがない屋根つきの出し物を総称して「屋台」といいます。
だんじりも細かくみるとこちらに分類されるかな。
踊り台のように人間が芸事を行う時にも利用されていることもあります。
山車の研究~まとめ~
「山車」(※広い意味で曳きもの)の研究ってどこまですすんでいるのかとちょっと疑問に思いますよね。
これ、実は
全然すすんでいません。
まちこのように、個人的に趣味の範囲でやっている人がほとんどで、山車について詳細な解答を得ることは出来ません。
どうしてかというと、どこのジャンルにも属していないから。
どういうことかって?
民俗学としては、宗教的文化的な面からしかみません。
美術学としては、美術・芸術的な面からしかみません。
建築学としては、全く持って論外、建築物としては認められていません。
歴史学としては、祇園祭のような主流の祭礼以外はほとんど対象になっていません。古ければ古いほどいいって感じですかな。
つまり、どっちつかずの状態で、誰も総合的に研究をしていないからです。
しかも個人的に見るだけなので、全国的に見てどういう傾向があるとか、そういった広範囲の調査ってのはなかなかすすまない。
だから、ネット上で山車のことを調べようとしても、ほと~んど情報はありません。
一応工芸品の部類に入るのかな、とは思いますが、その世界でも山車に興味を持つ人ってあんまりいないんですよね。
これにも理由があります。
どこの地域でも地区でも、山車の出番が1年に1回だから。
研究しづらい。
考えても見ると、全然知らない名もない一般人が急にやって来て「見せてくれ」と頼んでも、お祭りでもない日にわざわざ自分たちの大事な山車小屋を開けて、さらには組み立てて見せる地区なんてないです。
至極当然。
しかも、お祭りというと「神輿」が主流。
これも原因の一つ。
でもでも、よく見てみると地方のお祭りの主役って「曳きもの」が多いんです。
全国的に見ると愛知県などの東海が数でダントツ。
東北に行くと大型化。
近畿地方は山鉾を中心。
西日本はだんじり。
九州方面になると山笠。
関東は江戸型の山車。
などなど、おおまかな特徴はつかめます。
が、全国津々浦々のこと細かな祭礼行事をくまなく掌握するのはとっても大変。
だから、正確に山車の形状を分類するのは現在とてもじゃないけど無理。
全国祭礼連合でもあればな(笑)
お祭りが好きな人たち個人のこうした趣味ブログや趣味サイトって、実はとっても大事なんだと思います。
だからブログやろうよ~
田舎のお祭りは誰も見ない?それは誰も知らないからです! - おらがまち
これを見て、プロの研究者が動き出すかもしれません。
もしかしたら、その中の一人が研究を進めていくかもしれません。
このブログがそうした人たちの役に立つことを願って、また、山車のことを知らない人のきっかけになることを願って、今回はこの辺で。
以上「おらがまち」まちこでした。
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