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祭りは動く波の伊八美術館。美術館がないから現地に行くしかない!~東条・西条祭礼~

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こんにちは。

弱小文化財応援ブログ「おらがまち」まちこです。

 

「波の伊八」の美術館や博物館を探している人、結構います。

 

が、

 

残念なことに、そういったものは鴨川市にも南房総にも伊八ゆかりの地にもありません。

 

なぜなら、伊八の作品は現在進行形で現役続行中。

神社やお寺の軒下を飾っていたり、神輿や山車などの彫刻としてしかないからです。

 

だから「波の伊八」の作品を見たかったら、現地に行くしかありません。

 

南房総のお祭りに出祭している神輿や山車には、代々の伊八の作品が残され、さながら「動く美術館」。

 

今回は「波の伊八」の生まれ故郷の地区で行われるお祭り「東条・西条祭礼」をご紹介します。

 

どんな彫刻たちをのせた山車などがあるか。

ではでは行ってみましょう!

西条祭礼と東条祭礼について

鴨川市の東条地区、西条地区は、内陸に入った鴨川市役所などがあるあたり。

千葉県道181号線沿いにある地区です。

 

鴨川市といえば鴨川シーワールドですが、こちらは鴨川有料道路を下って少ししたところで、ちょっと離れてます。

 

平坦に開けた地で田畑が広がり、春になると鴨川市役所の裏手では「菜の畑ロード」といわれるとても広い菜の花畑が有名。

 

古来より「条里(じょうり)」(まっすぐに道を作って土地を整備すること)が敷かれた土地だったこと、古墳や城跡などがあったことなどから、当初から鴨川の中心地であったことがわかります。

両者とも地区名に「条」が付くのはその名残。

 

江戸時代には陣屋(藩庁、今でいう県庁や市庁などの公共施設)も置かれ、大きな寺社が多く、県指定や市指定の文化財など貴重な建物が乱立しています。

 

「波の伊八」の誕生の地である打墨(うっつみ)の西条にはじまり、これらの寺社には初代の伊八から5代伊八のほか、後藤一派の彫刻などがあり、見どころの多い地区です。

 

もちろん、西条・東条の山車や屋台にも伊八の作品が彫られています。

 

毎年10月の第1土日に西条祭礼(花房滝口神社例祭)と西条地区祭礼、第2土日に東条祭礼が開催。 

西条の祭礼は、もともと昭和46年までは10月25日。

 

山車2台、屋台1台、神輿2基、東条は屋台4台が出祭します。

 
参加地区は、西条は打墨、花房、滑谷の3地区、東条は和泉、東町、八坂、庤(※「寺」にまだれ)は4地区、合計7地区です。

神輿の大きさや山車の特徴は?

西条・打墨(打墨神社)

打墨(うっつみ)は鴨川市役所から大分山間にいったところ、鴨川有料道路から少し降りたあたりです。

 

鎮守の打墨神社は、大正10年に動山にあった宝光神社(御祭神:大日孁貴命(おおひるめむちのみこと))と森の下にあった少彦神社(御祭神:少彦名命(すくなひことのみこと))を合祀した神社です。

社殿は平成13年と新しいですが、後藤義徳の彫刻が施されています。

一時流鏑馬も行われていたとか。

ちなみに大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)は天照大御神のことです。

 

破風山車を持ち、人形は神功皇后。

先代の山車は白浜から譲り受けたもので、現在のものは平成13年に川股三喜男が製作しました。

神輿もあり昭和56年頃から出祭しています。

f:id:oragamatiko:20180801153116j:plain現在も流鏑馬が行われている吉保八幡神社の祭礼

西条・滑谷(熊野神社)

滑谷(ぬかりや)は千葉県立長狭高等学校の周辺で、加茂川沿いにあります。

熊野神社を祀ります。

 

屋台を所有し、滑谷青年会全員で昭和60年に製作したものです。

彫刻も自作。すごい。

西条・花房(瀧口神社)

花房は鴨川市役所を上り、打墨に隣接する地区です。

瀧口神社を鎮守として祀ります。

 

破風山車を持っていて、恵比寿人形を乗せます。

現在のものは2台目で、平成5年に宝くじの助成を受けて製作したものです。

八色・杉田敏明が同鴨川市内諏訪講の山車を模した南小町の山車を手本に作られました。

 

囃子台上部に注連縄を飾る珍し山車です。

先代の1台目は、現在のものが出来たのと同時に廃絶。

神輿は200年以上前に製作されたもので由緒あるものです。

f:id:oragamatiko:20180801153116j:plain諏訪講の山車

東条・西町(庤(※寺にまだれ))(庤神社)

庤(もうけ)は鴨川市西町で、庤神社が鎮座します。

御祭神はオオヒルメノム(天照大御神)で、由緒等は不明で源頼朝が伊勢神宮の御神領として奉納した地と言われています。

もともとは滝口明神でしたが、神にお供え物を調達するという意味の「庤(かんだち)」の神社と言われるようになったようです。

 

囃子屋台があり、昭和54年野村順一が彫刻し、昭和56年に豊田喜重郎が製作しました。

また黒塗りの神輿も出祭し、祭りに花を添えます。

昭和初期の神輿です。

東条・和泉(男金神社)

和泉は鴨川市役所からずっと山間、保台ダムまで含む大変広い地区です。

鎮守の男金神社は、「和泉の三役」として市指定の無形民俗文化財に指定されています。⇒和泉の三役/鴨川市ホームページ

古来は「妙見社」と呼ばれていました。

五穀豊穣と無病息災を願って、棒術・羯鼓舞・神楽獅子舞を和泉区内の3地区がそれぞれ担います。

江戸時代の文政年間頃から三役としては始まったと伝えられてるそうです。

 

大正期に製作された屋台があり、後藤喜三郎橘義信の彫刻があります。

昭和59年に古い彫刻部材を利用して川股三喜男が大改修を行い現在に至ります。

f:id:oragamatiko:20180801153116j:plain「和泉の三役」と同じ神事を行う祭礼

東条・東町(八幡神社)

東町は東条海岸沿いから山間に延びる細長い地区です。

また飛び地が多いのが特徴です。

八幡神社を祀ります。

八幡神社では昭和初期まで流鏑馬が伝えられていたそうです。

 

5代伊八高石信月(脇障子)と川股三喜男の彫刻が彫られた屋台が出祭します。

大正か昭和に製作されたもので、昭和55年頃に川股三喜男が大改修を行い欄間と蛙股を彫刻したそうです。

東条・広場(八坂(八坂神社))

八坂は鴨川市広場で、八坂神社を鎮守として祀ります。

通称「細谷の天王様」といわれています。

10世紀前半頃に創建され、その後再建され修築が行われています。

広場にある須賀神社も同系の八坂神社ですが、明治のときに「須賀神社」と改名しています。

 

東町同様東条海岸沿いから内陸へ伸びる地区で、区内にある鏡忍寺は日蓮宗本山で日蓮のゆかりのものや初代伊八の彫刻が残され、文化財の多く残る寺です。

 

神輿と屋台があります。 

屋台は、5代伊八高石信月の彫刻で、昭和10年ごろに広場・尾瀧常治が製作したと言われています。

神輿は、大正頃作の黒塗り。

 

< 参考文献・サイト >

美術館がないから行くしかない!

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波の伊八のお墓

 鴨川の打墨と言えば「波の伊八(ここでは初代を指す)」生誕の地。

今では屋敷跡は墓地となり、面影だけが残されています。

 

南房総から館山、鴨川、外房を拠点に活動していた伊八ですが、美術館や博物館は残念ながらありません。

 

なぜなら伊八の作品は、まだ現役だから。

 

彫刻部材のみが残されているのは逆に少なく、ほとんどが寺社の建築の一部、山車や屋台、神輿の一部として今なお現役続行中です。

 

なので、伊八の作品を見たいのならば現地に赴くしかありません。

 

それでも現地に行くのは大変だという方は、「伊八会」という伊八のファンクラブがあります。

 

そちらで写真集などが販売されています。ありがたい!

一般書店では購入できませんので、ご興味のある方は伊八会 - 初代「波の伊八」ファンクラブをご参照ください。

 

波の彫刻で有名な伊八ですが、学術的な研究がたくさん行われているかというとそうでもありません。

 

実は伊八に限らず、「宮彫師」たちの研究ってそんなに進んでいないのが現状。

 

「宮彫師(みやぼりし)」とは、寺社や神輿などの彫刻部材を担当していた人たちのことをいいます。

 

なんと、ルーツをたどると、日光東照宮の眠り猫を作った「左甚五郎(ひだりじんごろう)」にまで遡ることが出来るんです。

 

でも、寺社や神輿などの彫刻は「所詮寺社建築の一部だから」と、簡単にくくられてしまっているのがほとんど。

 

研究者にとって「彫刻」とは=「仏像」だからです。

 

私も学生時代に寺社建築の勉強をしましたが、寺社建築の授業でこの宮彫師たちの話を聞いたことは一度もありません。

 

寺社建築の勉強は、建築面の立体構造のこと。

こうした装飾部分は、建築の一部でしかありません。

 

同じ寺社に彩色されている天井画や壁画ってのはよく研究されています。

なぜなら、絵画師の研究者はいっぱいいるから。

でも建築の彫刻部材はいない。 

 

なんだか理不尽。

 

これにも理由があって、日光東照宮のころからそうした彫刻に銘(いわゆるサイン)を残す人がほとんどいなかったからです。

名前がわかるようになってくるのは、江戸時代も末期の末期になってから。

 

なので、誰の彫刻かもわからないものを研究するってのはとっても大変。

だから、余計になかなな進まないわけです。

 

伊八だけでなく「宮彫師」たちの研究は、現在少しずつですがはじまっています。

 

↓ 著者は宮彫師の彫刻に魅せられ全国各地を回った方です。写真家なのでアングルなどもバッチリ。おすすめの写真集です。

 

 

美術館や博物館、資料館といったものが出来上がるのも、まだまだ先のお話になること確実です。

 

 

ただ、ほとんどが建築の外側の装飾部材なので、いくら江戸時代と比較的新しい彫刻でも雨風で痛みが激しい。

いずれ風化してしまい、修復作業や研究が困難になる可能性もある。

 

だから、知ったときに見に行かないと、チャンスはどんどんなくなります。

 

さらに言うなら、南房総のお祭りは過疎化の影響で、休止されたり日数が少なくなったりと、お祭り自体の存続も危ういです。

 

東条・西条祭礼をこのページで知ってくれてありがとう。

 

動く波の伊八美術館へ、とにかく来てください~

 

さあ、鴨川市へ行こう!

 

 

以上「おらがまち」まちこでした。