おらがまち

知れば知るほどおもしろい!自分の町と日本の文化!

お盆に帰って来たご先祖様が見に行くお祭り~佐久間祭礼~

スポンサートリンク

こんにちは。

弱小文化財応援ブログ「おらがまち」まちこです。

 

田舎の祭礼なんて誰も見ないよ?

 

有名どころでないお祭りは人知れず廃れていく運命ではありません!

 

地元のお祭りを少しでも全国の皆さんに知ってもらうべく、ブログにて絶賛紹介中です。

片田舎のお祭りだからと南房総の祭礼をあなどるなかれ。

 

 

今回は、南房総の死んだ人間がお盆に帰ってくると行くとされているお祭り「佐久間(さくま)」のお祭りをピックアップしました。

 

ではでは早速!

佐久間祭礼について

鋸南町(きょなんまち)は鋸山を含むその南側にある町で、佐久間は東に向かった山間の地区になります。

 

佐久間には「佐久間ダム」があり、桜の名称として知られ、さらに近くには水仙ロードなどもあります。

自然豊かな土地で、農村の風景が広がるところです。

 

佐久間は上、下、中に分かれ、お祭りは上、中の合同の祭礼。

祭礼日

昔から8月15日のお盆の時期に開催されていて、お盆に帰ってきた仏様(故人の霊)が見に行く祭礼と言われています。

祭礼内容

屋台7台が出祭し、各地区にて引き回しが行われます。

お祭りの見どころは夜で、20時ごろ旧佐久間小学校に集合しお囃子の競演。

屋台が7台もあると圧巻です。

参加地区

中佐久間の赤伏、谷、塚原、中尾原、上佐久間の上、下、中の7地区。

平安時代より綿々とつなぐ

赤伏(中佐久間)(八幡神社)

中佐久間は鋸南町役場から山間に向かって進んだあたりに位置します。

中佐久間の真ん中の集落が赤伏。

さらにその先中佐久間公民館の裏手にある八幡神社が鎮守となります。

八幡神社は鎌倉時代後期までさかのぼれる神社。

 

担ぎ屋台があり、後藤義孝による彫刻が施されています。

上(上佐久間)(日枝神社)

中佐久間のさらに先、佐久間ダムのすそ野に広がる地区で、鎮守である日枝神社のお膝元に上があります。

創建は平安時代ともいわれる古い神社です。

 

担ぎ屋台があり、後藤喜三郎橘義信の彫刻で飾られています。

下(上佐久間)(日枝神社)

上佐久間は佐久間ダムの周辺の地区で、下は中佐久間との境界の地域です。

上に鎮座する日枝神社を祀り、創建は平安時代ともいわれます。

 

担ぎ屋台を所有、出祭。

谷(中佐久間)(八幡神社)

中佐久間は鋸南町役場から館山有料道路を先に進んだあたりの地区です。

谷は中佐久間と上佐久間の境にあります。

中佐久間公民館の近くの八幡神社が鎮守として祀られています。

八幡神社は鎌倉時代後期までさかのぼれる神社。

 

4代伊八と後藤庄三郎橘忠明、2人の彫り物がある担ぎ屋台を持っています。

明治20年頃に製作されたものと言われています。

塚原(中佐久間)(八幡神社)

中佐久間は鋸南町役場から館山有料道路を先に進んだあたりの地区です。

塚原は中佐久間の最初の集落になります。

八幡神社を祀ります。

八幡神社は鎌倉時代後期までさかのぼれる神社。

 

人形屋台を所有していて、昭和26年には地元の大工が子供屋台を製作しています。

昭和29年に佐久間の祭礼に参加するようになりました。

後藤利兵衛橘義光の彫刻を見ることが出来ます。

中(上佐久間)(日枝神社)

上佐久間は佐久間ダムの周辺の地区で、中は中佐久間との真ん中の地域です。

日枝神社を祀ります。

創建は平安時代ともいわれる古い神社です。

 

佐久間の祭礼には、人形屋台が出祭します。

屋台には後藤利兵衛橘義光による彫刻があります。

中尾原(中佐久間)(八幡神社)

中佐久間は鋸南町役場から山間に向かって、館山有料道路を越えたあたりの地区です。

中尾原は中佐久間の中央に位置します。

中佐久間公民館のすぐ近くにある八幡神社を祀ります。

八幡神社は鎌倉時代後期までさかのぼれる神社。

 

明治25年に製作された担ぎ屋台があります。

 

< 参考文献・サイト >

どうして佐久間はお盆にお祭りを?

obonnosairei

お盆というと、ご先祖様が家に帰ってきてみんなと過ごす。

というイメージがありますが、南房総はちょっと違います。

 

この「佐久間の祭礼」は、お盆の真っただ中に行われる祭礼で知られていますが、故人がやってくる祭礼としても知られています。

 

なぜこのようにいわれるようになったのか、実はちゃんと理由があります。

 

上佐久間に「十王堂」というお堂があります。

 

このお堂には、なんと!室町時代に作られた「十王」という10体の仏像が祀られています。

 

鋸南町指定の文化財といって侮るなかれ。

全部揃っているのは全国的にも大変珍しく、貴重なものなんです!

 

人が死ぬと、初七日(しょなのか)や七七日(しじゅうくにち)、一周忌などなど死後節目節目にお坊さんなどに南無南無してもらう日がありますよね。

 

この節目ごとに、いいことしたのか?なにやらかしたんだ?と地獄で死者(故人)が裁かれる日とされています。

 

地獄で裁かれるというと「閻魔様」が知られていますが、実は死ぬと10回*1裁かれていて、閻魔様以外にもたくさんの裁判官がいるんです。

 

閻魔様以外はあまり有名ではないので、地獄に閻魔様含め10人もいるなんて普通は知りません。

 

では、ざっとご紹介します。

≪ 十王 ≫

  • 秦広王(しんこうおう)、初七日(7日目)
  • 初江王(しょこうおう)、二七日(14日目)
  • 宋帝王(そうていおう)、三七日(21日目)
  • 五官王(ごかんおう)、 四七日(28日目)←実は舌を抜くのはこの人。
  • 閻魔王(えんまおう)、 五七日(35日目)←皆さんはここだけ知ってる。
  • 変成王(へんじょうおう)、六七日(42日目)
  • 泰山王(たいざんおう)、七七日(49日目)
  • 平等王(びょうどうおう)、百か日(100日)
  • 都市王(としおう)、一周忌(1年後)
  • 五道転輪王(ごどうてんりんおう)、三周忌(2年後)

≪ +三王 ≫

  • 蓮華王(れんげおう)、七回忌(6年後)
  • 祇園王(ぎおんおう)、十三回忌(12年後)
  • 法界王(ほうかいおう)、三十三回忌(32年後)

 

何をどう裁くかは、それぞれの裁判官によって違います。

紹介すると長くなるのでここでは省略します。

もっと詳しく知りたい方は、三芳の延命寺の地獄絵図を見に行きましょう!

そして、十王が基本とされていますので、皆さん三周忌まではしっかりやりましょう!

 

話はズレましたが、佐久間の祭礼のはじまりははこの十王堂の仏祭りからと言われています。

 

お盆の御霊送り(みたまおくり)と合わさり、地獄の窯が開いて帰ってきた故人が見に行く祭礼と言われるようになったようです。

 

私はこの話をおばあちゃんから聞きました。

おばあちゃんいわく、お盆のお供え物を持って仏様(故人)は見に行くんだとか。

 

どんどんお盆の内容は簡略化されてきていますが、せっかくの祭礼なのでごちそうを作ってあげてください。

 

死んだあとでもお祭りを見に行きたい。

なんて、南房総の人たちのお祭り好きを知る貴重なお祭りの一つだと思います。

 

お盆に鋸南町や南房総に観光に来たら、こちらの十王堂にも立ち寄ってみて下さい。

普段は見ることはできませんが、7月16日、8月15、16日には開帳があります。

 

珍しく十王揃った仏像と、佐久間の祭礼をみて故人を懐かしむのもまた一興かと。

 

鋸南町は鋸山だけじゃないのよ~

 

佐久間の遊び情報はレジャー・体験・遊びの予約ならASOVIEW!じゃらん 遊び・体験予約などで色々紹介されています。

ちなみに地元人でも「え~そんなのあるんかい!」という内容も多々あり。

宿泊予約ならJTBホームページが大分細かく地域の宿泊情報を網羅しているのでおすすめ。

 

 

以上「おらがまち」まちこでした。

 

 

あなたも自分の地元のお祭りをネットで情報発信してみませんか?
同志たちよいざ行かん!

*1:さらに3人足して13人という説もある。江戸時代になると13人が主流になる。