おらがまち

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掃除は神道の宗教儀式?きれい好きな日本人。

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こんにちは。

弱小文化財応援ブログ「おらがまち」まちこです。

 

日本人って、異様にきれい好きだと思いませんか?

掃除にしても、食べるものにしても、服装にしても。

 

衣食住すべてにあてはまるこの感覚。

 

これ、実は神道の宗教儀式のたまもの。

 

無宗教だと思っているわたしたち日本人って、意外に超宗教人間だったりします。

 

 

ではでは、この「きれい好き」を今回ひも解いてみたいと思います!

とにかくきれいがいい

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わたしたち日本人は、とにかくきれい好きといわれています。

 

なんでか?

ヒマだから?

ただ単にきれい好きな民族だから?

 

いろんな理由があるかもしれませんが、根本的に「きれい」は全て宗教儀式の一種だからといっても過言ではありません。

 

なぜなら、日本の「神道(しんとう)」は、きれいにすることをとにかく使命としているんです。

きれいにするとは?

日本人にとって、「きれいにする」こととは、汚いものを無くして美しい状態にたもつこと、常にあたらしいものとすること、です。

 

よく外国の方が日本に来ると道端にゴミが落ちていないことに感動する、とネットなんかでみますよね。

 

確かに、よくボランティアとして道の草取りをしたり、自宅やお店の前の掃除をしたりしている人を良く見かけます。

 

これは、上司やおじいちゃんおばあちゃん、先生とかに命令されてやったから、あんまりにも草ボーボーで道が汚いから呆れて仕方なく掃除をはじめた、のかもしれません。

 

でも、なんで上司やおじいちゃんおばあちゃん、先生に言われたからやるんでしょう?

なんで、呆れて仕方なくやるんでしょう?

 

別にやらなくても問題ないっちゃないはず。

それでも、しぶしぶでも、やってしまう日本人。

 

そこには、日本人に根本的にある、ある感覚のためです。

 

それは

 

「汚い」=「穢れ」、「穢れ」=「不浄」、「不浄」=「よくないもの」

 

という連想ゲームが、わたしたちの中にあるからです。

 

「よくないもの」は、運気を下げたり、病気を呼び込んだり、死を連想させたりします。

 

だから、どうしても払い除けたい。

「きれいであることが良い」と無意識ながらに思っている。 

老若男女問わずです。

 

そうやって子供の頃から、教わって来ているから、だからやるんだ。

外国だってどこだって「掃除をしなさい!」といわれるはずだ。

 

と思われるかもしれませんが、それを考慮したとしても、日本人のきれい好きは異常。

と、思うのはわたしだけはないはず。

 

お掃除評論家や、掃除関連の書籍が出れば大ヒットしますが、もしわたしが「掃除と宗教(仮)」という本を出しても誰も読みません。

 

だって、日本人の誰もが「掃除は宗教儀式」だなんて思っていないからです。

 

例えばこちらの本。

よく売れているそうですよ。

神道は根深い

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日本人は無宗教だとよくいわれますが、全然そんなことありません。

 

このブログの中で何度もかいているのですが、日本人は自分たちが思っている以上に宗教人間です。

 

ただ、それが諸外国のように表面に出てこないから、無宗教だと思ってしまうだけなんです。

 

神道の考えは根深くて、わたしたちが無意識のうちにやっている様々なことがそれに通じています。

 

「きれい好き」ってのももちろんそうです。

 

神道の儀式の中で最も重要とされるのは、「祓い(はらい)」です。

 

「お祓い(おはらい)」「お祓い」っていいますが、これはよくないものを取り除く儀式ですよね。

でも、神社やお寺にいって年がら年中お祓いしてもらっている人っていないと思います。

 

この「お祓い」の代わりに、わたしたちは「やっている」ことがあります。

 

それが「掃除」。

 

日本人にとって「掃除」とは、個人でやっている「お祓い」というわけなんです。

 

なんて安い!

やらねば損ですぞ!

掃除道具も宗教用具?

突然ですが、掃除のときに欠かせない箒(ほうき)。

これにはどんな由来があるんでしょうか。

 

実はここにも神道由来の理由があります。

 

神社に行って、ガサガサと白い和紙を切った儀式の道具を神主さんが振ったりしてますよね。

 

おおもとはアレです。

 

そしてもっと昔の、まだ和紙がなかった時代だと、小枝を束ねたものであったとされています。

 

書物に「箒」が登場するのは平安時代。

ここでは正式に「掃き掃除に使ったよ」と記されています。

やがて、室町時代になると「箒屋さん」も出てきて、掃除という行為はごく一般化してきます。

 

では、それ以前はどうであったのか。

 

古墳時代に小枝を束ねた「箒」らしきものがあったそうですが、これが掃除道具として扱われていたかは不明。

 

ヒントとなるのは、古墳時代直後に編纂されたとされる「古事記」。

そこには「人の魂を掃く道具」として登場しています。

 

実際にどんな用途でしようされていたのか、もちろん目にした人がいないのでわかりませんが、葬列にそれを持って参加していたと記されています。

そのため、祭祀関連の道具として使われていただろうことは簡単に想像することができます。

 

箒はなにかを祓うための道具として古来から重宝されてきた、というわけです。

 

そして時代が下っても、「お祓い」の代わりとしてわたしたちの生活の中に根付いているんです。

 

でも、最近は畳のお家も少なくなりましたし、箒はホコリを舞い上げてハウスダストやアレルギーの原因とされ、敬遠されがちです。

一家に一本箒なんて最近は見かけません。

 

箒は電気も使わないし、掃除機の様な大道具でもないので持ち運びも楽ちん、音も出ないし、エコな掃除道具として再注目もされています。

 

弱小文化財応援ブログとしては、こうした小さな文化の財は応援せねば。

は、「棕櫚(シュロ)」というの木の繊維を利用して作られています。

適度な油分があるので、ワックス効果もあり、埃を舞い上げにくい商品として大変人気があります。

畳だけでなく、非常に柔らかいのでフローリングにもぴったり。

きれい好きは日本人の宗教活動

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 別に「神道万歳!」と声高らかに賛美を送っているわけではありません。

宗教団体を立ち上げるわけでもありません。

 

ただ、日本人って客観的に見ると本当に面白いんです。

 

サッカーの試合でゴミ拾いをしたとニュースになる。

もちろん最近はじまった善意の行為かもしれません。

 

でも、他の外国の人たちだったら、まず「ゴミ拾い」という発想は出てこないと思います。

多分、寄付金を集めるとか、ボランティアに参加するとか、そういった前進するための善意が多いのではないかな。

 

日本人にとって「きれいにすること」は、「良い状態である」ことです。

それはわたしたちにとって「とってもよいこと」。

最高の恩返しになります。

 

だから、「そうだ!掃除(ゴミ拾い)をしようじゃないか!」ということになったんだと思います。

 

まちこはこういったニュースを見るたびに、ああ日本人よ、なんて面白い、と思ってしまうのです。

 

でも、日本人のこうした無意識の宗教行為って、結構自分たちを苦しめていることもあります。

 

例えば

とか

とか。

 

自分で自分の首をしめることだってあります。

でも、それが宗教のせいだなんて微塵も思わない。

 

ホントに面白いぞ日本人。

 

 

掃除からも色々なことがわかるなんて、面白いですよね。

自分の生活の中にはどんな「神道」が隠れているのか。

探してみるのもいいかもしれませんね。

 

 

以上「おらがまち」まちこでした。