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女性天皇と女系天皇の問題とは?万世一系という継承について。

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こんにちは。

弱小文化財応援ブログ「おらがまち」まちこです。

 

「女性天皇」「女系天皇」について政府でも有識者会議を開いたり、さまざまな検討案が出て来ています。

賛成反対の多数の意見が存在し、ネットにも情報があふれています。

 

でも、この「女性天皇」と「女系天皇」。

一体なにが問題となっているんだろう。

 

 

今回は、歴史から「女性天皇」「女系天皇」について謎解きをしてきたいと思います。

 

ではでは、「女性天皇・女系天皇の違いを知る万世一系という手段」のお話です。

早速いってみましょう!

女系天皇と女性天皇の違い

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女系も女性も女の人が天皇になるということでしょ?

なにが問題なの?

 

これが歴史的に見ると、ものすごい発想なんです!

万世一系という考え

実は天皇家には守らなければならない、昔から守られている大事なことがあります。

 

それは「万世一系(ばんせいいっけい)」という皇族の血筋の継ぎ方。

 

皇位継承には大きく3つの決まりごとが定められています。

 

  1. 皇胤に限る
  2. 男系に限る
  3. 一系に限る

 

簡単にいうと、

 

天皇のこどもで、なおかつ男の子で、代々続いて来た系統じゃないとダメ。

 

ってことです。

 

女の子じゃな~、皇族復帰させるのもな~と問題になるのはこのため。

 

これをまとめたのが初代総理大臣伊藤博文なので、明治維新のころから始まった思想なんじゃないの?と思われがちですが、万世一系という考え方自体は日本で天皇制がはじまったころから存在します。

 

つまり天皇それ自体が始まった当初からあるので、もはや「万世一系=天皇」なわけです。

女性天皇=その人限り

現在、この万世一系の継続が難しくなっていることは日本国民はみんな知っていること。

理由は、男子皇族がいないから。

 

でも、この男子皇族がいない後継ぎがいない問題というのは天皇家の歴史の中で幾度もありました。

男のこどもが生まれなかった、生まれた男子が亡くなってしまったなどなど、理由はさまざま。

 

そんなときに今まで天皇家ではどう対応してきたのか。

 

それは女性の天皇を即位させてたんです。

 

ただし、条件付きです。

 

その女性天皇一代限りという条件付き。

 

そのため今までの女性天皇は例外なく、その本人一代限りで、その女性天皇のこどもがあとを継ぐなどといったことは一切ありませんでした。

 

これはどの派閥や考え方の人でもOKとされています。

なぜなら、この女性天皇は天皇のこどもであり血統正しく、一代限りという制約のもとの天皇だから。

女系天皇=男女関わらずその血を継ぐ

それとは逆に大きな論争を巻き起こしているのが、こちら「女系天皇」。

 

天皇のこどもである女性が天皇となります。

ここまでは「女性天皇」なので、おそらくどこの識者や右翼からも文句は出ないはず。

 

ただし、問題はこのあとです。

 

その女性天皇が結婚して、お子さんが誕生し、さらにその子に皇位継承権が移り天皇になる。

この時点で女系の天皇の血筋となり、万世一系は終わります。

 

しかも結婚した相手が一般人だったとします。

そうすると、これから先一般人の男性のこどもである男子の血筋が天皇家の血筋へ。

今までの天皇とは、あきらからに血統が変わります。

 

どんな形であっても、それぞれの立場にいる人たちのプレッシャーやストレスは物凄いものになることは、火を見るより明らか。

 

いろんな意味で、女系天皇には大きな問題が孕んでいるわけです。

 

外国と同じように別に女性が継いでもいいじゃんという考えだけでは、日本の天皇家は安易に了承できないんです。

 

愛子様や眞子・佳子様にマスコミや専門家、一般人に至るまでいろいろ言われるのはこれのせい。

 

歴代の女性天皇

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ではでは、歴代の女性天皇はどんな経緯で天皇になったのか。

その後は誰が継いだのかなどなど。

 

ざっとまとめてみました!

推古天皇

第33代天皇、在位592~628年。

第29代欽明天皇の皇女で、第30代敏達天皇の皇后。

先代の32代崇峻天皇のあとを継ぎますが、崇峻天皇は推古天皇にとってはいとこであり、義理の兄弟。

 

推古天皇から称徳天皇に至る時代は、皇族や豪族がかなり濃い形で血縁関係にあったため「困ったときの女性天皇と化していた」のは否めない事実かと。

 

推古天皇もまたしかりで、朝廷の安定のため皇族・豪族間で均衡をとるために群臣から推されて天皇になりました。

万世一系の通り、こどもである竹田皇子は皇位継ぐことはありませんでした。

推古天皇が即位してすぐ、早世したためだから仕方ないですが。

皇極天皇

第35代天皇、在位642年~645年。

先代の第34代舒明天皇はおじさんであり、夫。

直接の天皇のこどもではありませんが、血筋的に29代欽明天皇、30代敏達天皇の子孫となってます。

 

推古天皇のこどもは皇位を継ぎませんでしたが、皇極天皇の息子は天皇になりました。

第38代天智天皇です。

女性天皇のこどもは皇位を継承しないって話になってますが、夫が男性天皇だったので問題なし。

古代は天皇家で義兄弟、いとこでの婚姻が普通だったので、どうしたって万世一系になってたわけです。

斉明天皇

第37代天皇、在位655~661年。

第35代天皇である皇極天皇が、再度天皇に即位します。

これを「重祚(ちょうそ)」といい、同じ人物がいったん退位して再度皇位を継ぐこと。

 

このときも本来の男性天皇を立てるための状況が困難であったため、仕方なく重祚した感じ。

男子皇族はたくさんいたし、有力な人物もいたんですが、逆にこれが仇となった時代。

必殺「困ったときの女性天皇」です。

持統天皇

第41代天皇、在位690~697年。

第39代天智天皇の皇女で、第40代天武天皇の皇后。

ちなみに天武天皇はおじさんにあたります。

 

彼女の場合は「困ったときの女性天皇」ではなく、自分の血を引く子孫を天皇にさせたいがゆえに頑張った女性天皇。

まわりに推されたのとはちょっと違う。

 

このときも男子皇族はたくさんいましたし、有力な人物もいました。

もともと自分の息子である草壁皇子に天武天皇の後続をさせたかったのですが、若くして死んでしまったため孫に継がせるために自分が天皇に。

その後、孫は第42代文武天皇へ。

 

持統天皇は天皇になる前から、「称制(しょうせい)」をとっていたのでそのまま天皇へそそそ~っと。

よほど力のある女性だったと思われます。

歴代の女性天皇中でダントツ。

 

※称制:即位せず政務をとること

元明天皇

第43代天皇、在位707~715。

第42代文武天皇の母で、第41代持統天皇の異母妹。

 

息子の文武天皇が早くに亡くなってしまい、その子孫に皇位を継がせるために自らが一時凌ぎに天皇に。

持統天皇と似たパターン。

文武天皇の子で、元明天皇の孫は後の第45代聖武天皇になります。

元正天皇

第44代天皇、在位715~724年。

第43代元明天皇の娘で、第41代持統天皇の孫娘。

 

弟である文武天皇のこども(後の聖武天皇)を即位させるために一時的な天皇となります。

当時は天武天皇という強力な皇位継承順位を持つ男子皇族がたくさんいるため、元正天皇が皇位を継ぐ以外に血統を継いでいく方法がありませんでした。

孝謙天皇

第46代天皇、在位749~758年。

第45代聖武天皇の娘。

 

もともと、弟が聖武天皇の皇太子となっていましたが早世。

聖武天皇と皇后の間には、娘である孝謙天皇しかいなかったため、女性としてはじめて皇太子になります。

今までの女性天皇のように、政治のゴタゴタに巻き込まれて急遽天皇になったのではなく、彼女に皇位を譲ることを前提に天皇になるべくして天皇となりました。

 

ちなみに彼女は独身・未婚のまま人生を終えます。

持統天皇が頑張ってつないできた血統は一旦ここで終了。

 

次代は天武天皇・天智天皇のほかの子孫が皇位を継いでいきます。

称徳天皇

第48代天皇、在位764~770年。

第46代孝謙天皇が重祚。

 

女性天皇が良く思われないのは、彼女が僧侶である道鏡を寵愛し過ぎたため。

なんでも彼の言うことを聞き過ぎてしまって、もう一度天皇になるという野望まで持ってしまったりと、とにかく後半の破天荒ぶりがすごかった。

ちなみに道教のために出家し、出家したまま天皇になったのも彼女が天皇史上唯一。

 

普通出家した人物が天皇になる場合は、必ず還俗(出家を取りやめること)してから皇位を継ぐ。

 

彼女がものすごく素晴らしい功績を遺していたら、もしかしたら万世一系ではなく嫡子相続が普通になっていたかも。

このあと、850年近く女性天皇が即位することはありませんでした。

 

よっぽどトラウマになってしまったのか。

明正天皇

第109代天皇、在位1629~1643年。

第108代後水尾天皇の皇女。

母は徳川秀忠の娘、和子。

 

久しぶりに現れた女性天皇。

この時も現在同様、後水尾天皇に男子のこどもがいなかったため、中継ぎで天皇となります。

その後、男子誕生(のちの後光明天皇)したため譲位して退位しました。

 

彼女も結婚してません。

外戚が徳川家だから、朝廷としては後続をさらに徳川家の血筋で続けるのは嫌だったはず。

この辺は万世一系とは違う意味合いをもあったと考えられます。

後桜町天皇

第117代天皇、在位1762~1770年。

第115代桜町天皇の皇女。

第116代桃園天皇の異母姉。

 

桃園天皇崩御時、その息子がまだ5歳であったため中継ぎで天皇へ。

もともと、桃園天皇が生存していたときから姉へお願いされていたこと。

その後、その子が15歳となり後桃園天皇となるべく、すんなり譲位します。

 

江戸時代二人の女性天皇は、前半の女性天皇と違ってドタバタ、権力集中のためというより天皇へのなり手がいないがための応急処置の面が強いです。

まとめ

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天皇家のみに複数の妻を持ってもいい?

離脱した元皇族に宮家として復帰してもらう?

愛子様はOkだけど、その子はダメ?

継承可能な女性皇族に、元宮家の男性と結婚させる?

男子女子関係なく、天皇の第一子に第一継承権を持たせる?

 

弱小文化財応援ブログの管理人として歴史的観点から言うと、天皇家は存在自体が文化財です。

しかも万世一系という約束事をずっと守ってきたという経緯もあります。

男系の天皇がこれからも天皇としていくことは望ましいと思っています。

 

でもでも、実は全然関係ない血筋のところから引っ張られてきた天皇がいたともいわれていますし、2000年以上続くなかで完全に万世一系が守られてきたとも言い難いです。

現代は変に科学が発展してしまっているがゆえの皇位継承問題でもあるといえます。

 

実際に血液や遺伝子検査をしたら・・・

 

というと夢もロマンもなくなってしまいますが、そこから解決されることもあるかもしれませんね。

 

例えば、女系天皇にしても天皇家の遺伝子を残して継続して行くことが可能とか。

そんな遺伝子が発見されたら、みんな楽になるんでしょうが(笑)

 

いずれにしても皇室には危機が訪れているのは否めません。

 

 

というわけで、「女系天皇と女性天皇の違い」についてでした。

以上「おらがまち」まちこでした。