おらがまち

歴史大好きまちこ主催!弱小「文化財」応援ブログ!

由来は里見水軍とも徳川将軍の舟遊びともいわれている、朱塗の映える船型の山車、濱三の「明神丸」。

こんにちは。

弱小文化財応援ブログ「おらがまち」のまちこです。

 

今日は南房総にある御船の中、館山市船形地区濱三「明神丸」をご紹介します。

濱三とは

館山市船形の海岸沿いの地区になります。

 

「濱三(はまさん)」は、この海岸沿いの西・東・仲宿の3地区合同の名称で、それぞれ山ノ神・日枝神社・金毘羅神社・稲荷神社を祀ります。

山ノ神・日枝神社・金毘羅神社・稲荷神社の縁起等について

山ノ神(東)

東にある神社で、御祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)、地区の人からは「やまんかみ」と言われています。

 

この神社のそばには水のよく出る共同井戸があります。

海側の地区になぜ山の神が祀られているのかはわかっていません。

ただ御祭神の大山咋命は単純に山の神ではなく「治水を司る」神様でもあるので、こうした井戸を安心して使用できるようにここに呼んだのかもしれません。

日枝神社(西)

西には2つの神社があって両社とも目と鼻の先にあります。

この日枝神社は西の氏神様になり、1月4日に「オビシャ」が行われます。

御祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)

 

縁起や由来等についてはよくわかっていません。

金毘羅神社(西)

西にある2つの神社のうち、もう一つがこの金毘羅神社です。

船形地区の川名の金毘羅様と区別して「西の金毘羅様」とも言われています。

御祭神は大物主神(おおものぬしのかみ)。

 

昔西の浜に流れ着いた金毘羅神社の御神体を、地元の漁師が祀り社を建てたのが始まりといわれています。

御祭神の大物主神は海の神ですので、海上安全や豊漁を願って祀られたとされます。

稲荷神社(仲宿)

船形地区の仲宿にある氏神様です。

 

稲荷社というと商売繁盛とイメージされますが、キツネは魚を好むことから豊漁をもたらすと言われ、海岸沿いの漁師町には稲荷社が祀られることが多いです。

仲宿の稲荷神社もこうした由来で建てられたようです。

各神社の例祭も毎年行われる

船形の各神社の例祭は、夜店(出店)があり太鼓や笛の音が響きます。

地区の合同祭とは別に開催されているのが特徴です。

 

最近は規模こそ小さくなりましたが、これもれっきとしたお祭りとして続いています。

  • 山ノ神(東)・・・6月8日(夜店)
  • 日枝神社(西)・・・6月13日(夜店)
  • 金毘羅神社(西)・・・5月19日(夜店)
  • 稲荷神社(仲宿)・・・6月23日(夜店)

船形地区祭礼

毎年7月の最終土日に開催されます。

以前は7月26・27日を祭礼日としていましたが、曳手不足などで変更となりました。

 

船形地区はもともと、船形村と川名村の二つの地区に分かれていました。

明治12年に合併が行われ、これをきっかけにおのおの行われていた祭礼を合同開催するようになりました。

 

全山車・屋台が川名の山車を迎え川名の浜へ行き、今度は川名の山車とともに堂ノ下の浜まで来ます。

その後堂の下の浜で「御浜出」をした後、船形の港に集合した後、各山車はそれぞれの地区へ帰って行くのが大まかな順路です。(※残念ながら現在は御浜出は行われていない)

 

 

この他に毎年10月の3連休に行われる「南総里見祭り」にも出祭しています。

こちらは参加不参加は自由なので、毎年必ずいる保証はないのであしからずご了承ください。

明神丸とは

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正面

船型の山車「御船(おふね)」

船の形をした山車のことを、南房総では通称「御船(おふね)」といいます。

 

現在のものは大正12年関東大震災で焼けた後、再建したもの。

御船は里見水軍の軍船から、徳川将軍の船遊びの「御座船」から来たなど2つの説がありますが、定かなものはありません。

 

昭和7年に製作を開始したようですが、写真もなく焼失してからしばらく経っていたので中々進まなかったようです。

 

焼失前は屋根がありませんでしたが、昭和7年再建の際に付けられました。

御浜出のために下回りもはずせましたが、下敷きになったりと死傷者が続出したためはずせないように造り替えました。

 

本体はひのき、彫刻はけやきで出来ているそうです。

また、この「明神丸」の最大の特徴は朱塗りの外装と上部の重厚な造りです。

写真を撮っておこう!

明神丸写真

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真正面

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彫刻は10年間かけて完成しました。

鳳凰は後藤義政、屋根下の下り龍は後藤喜三郎義信が彫刻したといわれています。

他にも後藤実義房、後藤滝治義光などが彫刻に関わったと伝わります。

正面からみた側面

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側面

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側面後ろ

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背面

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