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大漁旗がひるがえる船形の漁師町の祭礼。波の華を神前に供える神事はとっても勇壮!

船形祭礼について

船形は館山の漁港として栄え、館山市の北西部に位置する港町です。

 

大小併せて14の神社があり、各神社で4~6月にかけて例祭(「夜店(よみせ)」と呼ばれる)が行われ、7月の後半に合同祭があります。

 

昔は船形村と川名村と別々に行っていたものを明治12年の合併に際し、合同で祭礼を行うようになりました。

全山車・屋台が川名の山車を迎え川名の浜へ行き、今度は川名の山車とともに堂ノ下まで来ます。

 

その後堂の下の浜で「御浜出」をした後、各山車はそれぞれの地区へ帰って行くのが大まかな順路です。(※残念ながら現在は御浜出は行われていない)

 

二日目の夜には、船形の港の道路が歩行者天国となり各地区が囃子を打ち鳴らし競い合う様子は一件の価値ありです。

神輿などはありませんが、山車や屋台に施された彫刻や立派な幕などは素晴らしいものばかりです。

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詳細情報

船形の総社である諏訪神社を中心に祭礼が行われます。

祭礼日は7月下旬の土日(※本来は7/26、27)ですが、周辺の祭礼の実施状況等によって前後する場合があります。

 

参加地区は、堂ノ下、濱三(西・東・仲宿)、柳塚、大塚、根岸、川名(川名濱・川名岡)の6地区です。 

山車や神輿のご紹介

堂ノ下(諏訪神社)

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堂ノ下は諏訪神社を祀る地区で、破風山車を有します。

 

現在の山車は明治30年頃に制作されたものと言われていて、山車に乗っている人形は「仁徳天皇」です。

通常は山車の中に格納されていて、必要に際して上下させ人形を出し入れします。

 

山車は三層になっていて、それぞれがきらびやかな幕に覆われています。

正面上部が破風型になっていることや、山車のブレーキが山車内下部にあるのが特徴的な山車です。

 

彫刻は、「加藤清正の虎退治」「獅子と鞠」をメインに後藤喜三郎橘義信が彫りました。

濱三(山ノ神・日枝神社・金毘羅神社・稲荷神社)

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濱三は、西・東・仲宿の3地区合同の名称で、それぞれ山ノ神・日枝神社・金毘羅神社・稲荷神社を祀ります。

 

房総では度々みられる船型の山車で、「御船(おふね)」と呼ばれ「明神丸」という名前がついています。

船型の山車の為、人形はありません。

 

現在の御船は3台目で、先代は大正12年に関東大震災で焼失し、その後昭和7年に石井一良が製作され現在に至ります。

焼失前は屋根が無かったそうですが、昭和7年再建の際に付けられました。

 

10年間かけて彫刻が完成。鳳凰は後藤義政が彫刻、屋根下の下り龍は後藤喜三郎義信が彫刻したといわれています。

他にも後藤実義房、後藤滝治義光などが彫刻に関わったと伝わります。

柳塚(八雲神社・厳島神社)

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柳塚は船形の中でも広い地区で、八雲神社・厳島神社を祀ります。

 

山車は人形屋台で、中に納める人形は毎年借りておりその内容も毎年違います。

現在のものは昭和10年に製作され、彫刻部分は以前の屋台のものを再利用しています。

 

東京の彫刻師小島松連の作で、昇り龍下り龍は迫力があります。

大塚(神明神社)

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大塚は船形の漁港に最も近い地区で、神明神社を祀ります。

大変立派な山車を有し、他地域と比べても引けを取らずまた少し大きめなのが特徴です。

 

現在の山車は明治20年に神奈川県の浦賀から購入したもので、骨組み自体は江戸時代末期のものと言われています。

 

彫刻師後藤利兵衛橘義光を中心に明治23年に彫刻が完成しましたが、5~6年もの歳月を費やし彫られた彫刻で大変手が込んでいます。

平成2年に大規模な改修が行われ、美しく生まれ変わった姿を是非ご覧ください。

 

人形は「神武天皇」で、三層の山車の中に普段は格納され必要に応じて上下させます。

根岸(加麻土神社・大六天・御霊様)

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根岸は海から山裾に至るまで長い範囲の地区で、加麻土神社・大六天・御霊様の三社を祀ります。

以前は山車でしたが、大正8年に地元大工 青木友次郎が製作し人形屋台へとなりました。

 

 正面・背後にある龍の彫刻は圧巻で、彫刻師後藤滝治義光・後藤喜三郎橘義信の作と言われています。

川名(金毘羅神社・日枝神社)

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川名は川名濱・川名岡の2地区からなっています。

 

以前は船形村ではなく独立した川名村でしたが、明治12年の船形村へなりそこから合同祭りに参加するようになりました。

濱と岡で、それぞれ金毘羅神社・日枝神社を祀っています。

 

山車を有し、三層の山車の中に臨月の神功皇后を乗せています。

現在の山車は昭和に製作され、昭和11年に彫刻師後藤義孝によって彫刻が完成したと言われています。

まちこ豆知識

御浜出(おはまで)

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船形の祭礼行事の一つ。

 

船形の浜に各山車・屋台を毎年年番毎に下ろして、砂浜でそれを曳くというものです。

 

以前は車輪を外して担いでいたが事故が多かったため、もっぱら曳くようになったと言われています。

 

なかなか引き上げることが出来ず夜中までかかったり、山車を浜に置きっ放しということもしばしばあったらしいです。

 

船形の漁港あたりから、堂の下の浜までの長い距離を曳いていましたが、人手や浜周辺の設備環境の変化により、距離は徐々に短くなっていきました。

残念な事に現在は行われていません。

 

その代わりに、諏訪神社下の海岸に向かう坂を利用して山車・屋台を曳き上げる事が時々あります(毎年ではない)。

 

「おはまで」というと神輿が海につかって身を清める事が良く知られていますが、山車を砂浜におろしてひっぱるこの行事は大変面白く珍しいものと思われます。

しおごり

船形祭礼に際して初日に、毎年諏訪神社と金毘羅神社それぞれで行われる祭祀。

若い衆が濡れた新しい砂(「波の華」)を両手ですくい、神社の階段を一気に駆け上がり神前に供えるというものです。

木遣を歌いながら気勢を上げるのが特徴です。

しおごりの木遣
 ソリャー こぼれ松葉もあれみやさんせ、枯れて散るとも二人づれ。
山車引きの木遣
 ソリャエ そでも身ごろも良く聞き給え、母がたびたび苦労する。
 ソリャエ 船のみよしに鶯とめて、明日は大漁と鳴かせたや。
 ソリャエ 岩にたたかれ荒瀬にもまれ、苦労尽くして上るこい。
 ソリャエ 富士の白雪や朝日にとける、娘島田は寝てとける。
 ソリャエ 色でも西瓜でさえも、中にゃ苦労の種がある。

船形史考 石渡進 他(船形小学校PTA)昭和55年より

f:id:oragamatiko:20180801153116j:plainしおごりが行われる祭礼

www.oragamati.com

その他参加する祭礼

各地区とも船形祭礼の他に、南総里見祭りに参加することがあります。

南総里見祭りはその年により参加・不参加があるので、詳細については一般社団法人館山市観光協会の案内を参考にしてください。

参考文献・サイト