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流鏑馬神事が残る吉保八幡神社を中心とした鴨川市吉尾地区の祭礼。

吉尾祭礼について

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鴨川市は南房総の太平洋側にある市で、安房の中でも主要市の一つです。

 

鴨川市には房総を横断する長狭街道(千葉県道34号線)がありますが、江戸時代より栄えた道で東京湾と太平洋を一本でつなぐ道として重宝されていました。*1

 

吉尾地区は長狭街道の鴨川や反対の鋸南に出るちょうど中間にある開けた土地で、発掘調査などからも古代からの歴史のある土地とわかっているところです。

 

吉尾祭礼はこの長狭街道の中心的な地区であったところの祭礼で、吉保神社をはじめとし古い神社やお寺が多く残る地です。

鎌倉時代から続く伝統的な神事なども残され、それが吉尾祭礼の時に見られるので是非見ておきたい祭礼の一つと思われます。

 

また、出祭する神輿や屋台の他に「宮立て」と言われる神社をギュッと小さくしたものに太鼓をくっつけた余興物があります。

小さくても伊八などの彫刻がされていて美術的・歴史的価値があり大変おもしろい出し物です。

f:id:oragamatiko:20180801153116j:plain鴨川の山間は宮立てがたくさん

www.oragamati.com

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詳細情報

9月の最終土日曜に吉保八幡神社を中心に行われる吉尾地区の合同祭です。

 

神輿8基、屋台5台、宮立と呼ばれる太鼓9基が出祭します。

神輿、宮立の詳細は未調査なのでわかり次第随時更新します。

 

日曜日には吉保八幡神社で行われる流鏑馬神事に合わせて、境内に屋台たちが集合します。

 

参加するのは地区は、大幡、北風原、寺門、横尾、細野、松尾寺、大川面、仲、宮山・八丁の10地区です。

 

山車・神輿等をご紹介

大幡(皇太神社)

吉尾地区は鴨川市海側より内陸に入った長狭海道沿いにある地区で、鴨川市街からみると大山千枚田手前に大幡(おおはた)はあります。

鎮守は皇太神社になるのか、勉強不足の為わかりません。

ただ、神輿はここから出御するようです。

 

平成13年に打墨から屋台を譲り受け、先代屋台は廃絶しました。

先代の屋台は、昭和40年丸村(旧丸山町の丸か?)から譲り受けたものだそうですが、ほとんど使用することはなかったようです。

 

当初は万灯型の置き屋台を製作し、それを出祭させていたと聞いています。

f:id:oragamatiko:20180801153116j:plain打墨の祭礼

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北風原(春日神社)

北風原(ならいはら)は、長狭海道沿いにある吉尾地区の中の真ん中あたりにある地区で、街道を挟んで左右に細長く伸びる地区です。

春日神社を鎮守とします。

 

昭和8年に永井菊松、鶴岡政吉らによって製作された人形屋台があります。

神輿ーは明治5年以前に作られたもので、昭和に入り何度か改修がされています。

直前の日曜に区内曳き回しが行われているようですが、詳細は不明です。

 

毎年7月の第4日曜日には、北風原の羯鼓舞(千葉県指定無形民俗文化財)が行われます。

以前は北風原の春日神社と横尾の請雨山(しょううさん)の愛宕神社で毎年交代で行われたのですが、今は春日神社で行われます。⇒北風原の羯鼓舞/鴨川市ホームページ

仲(吉保八幡神社(きっぽはちまんじんじゃ))

仲は長狭郵便局から長狭中学校までの長狭海道沿いの地区で、吉尾祭礼の吉保八幡神社を祀ります。

 

明治7年の屋台があり、初代後藤義光の彫刻で飾られます。

昭和33年ごろ火災により獅子木鼻を焼失したそうですが、後藤義孝により補修されました。

 

吉尾祭礼の日曜日には、鎌倉時代より続く流鏑馬神事が行われます。

その由来は不明ですが、禰宜(神主さん)が騎射することなどから、武芸としてではなく神事としての色がとても濃く古来の形を残しているということで、千葉県指定無形民俗文化財になっています。⇒吉保八幡のやぶさめ/鴨川市ホームページ

 

また、本殿向拝には初代伊八の作品も残されており歴史を感じられる神社です。

大川面(八雲神社)

大川面(おおかわづら)は、長狭中学校交差点から国道410号沿いの地区になります。

八雲神社が鎮座します。

 

人形屋台が出祭し、彫刻師は後藤利兵衛橘義光で明治17年に製作されました。

平成元年に八丁・水田一夫が改修をしています。

 

旧暦6月15日(7月27日頃)の当地区の八雲神社、牛頭天王祭りに小型の曳き屋台が出祭するそうですが、毎回ではないようです。

寺門(春日神社)

寺門(てらかど)は長狭海道沿いの長狭寺門郵便局周辺の地区になります。
残念な事に屋台は廃絶してしまいました。

八丁(?神社)

吉尾地区の南の方の地区で、祀られている神社についてはわかりません。
屋台は廃絶しています。

細野(熊野神社)

細野は鴨川市街から長狭中学交差点を過ぎて、寺門と道を挟んで向かい合う地区です。

熊野神社を祀ります。

 

屋台は廃絶していますが、熊野神社に部材の一部が保管されてるそうです。

神輿は吉尾祭礼に出祭しています。

松尾寺(八幡神社)

松尾寺は細野地区に囲まれるようにある小さな区です。

長福寺の境内に八幡神社を祀ります。

 

昭和3年に曽呂・畑から担ぎ屋台をもらい曳き屋台に改修し、人形屋台として吉尾の祭礼に出祭しています。

宮山(宮山神社)

宮山は長狭中学交差点から、道の駅みんなみの里に向かって続く地区です。

鎮守の宮山神社は、神功皇后を祀る八幡神社のようです。

 

吉尾の祭礼では人形屋台が出祭します。

宮山地元の大工・太田五良平藤原政信により、明治期に製作されました。

横尾(?神社)

横尾は国道410号よりちょっとはずれた位置にある地区です。

神社は横山神社でしょうか?

 

屋台は廃絶され、彫刻の一部が常秀院にあると聞いています。

まちこ豆知識

吉保八幡の流鏑馬神事から、長狭の国を見る

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鴨川というと海がメインと思われがちですが、江戸時代に入って紀州(和歌山)から来た漁師たちが「まかせ網」という漁法を教えたことから漁業が盛んになりました。

 

それまではむしろ農業が盛んで、主に吉尾地区などの長狭街道沿いの内陸が中心の地でした。

 

長狭の語源は「長麻(ながあさ)」から転じたと言われ、当時ここら一帯は良質な麻が採れるところだったからだそうです。

 

また、「長狭米」といえば南房総に限らずおいしいお米としても知られており、古くから米どころであったことも知られています。

そのため農業を中心とした生活だったので、どうしても稲作などの豊作不作、根付けの時期などが重要でした。

 

そこで始まったのが吉保八幡神社の流鏑馬神事です。

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もともとの由来などは全くわかっておらず、社伝で鎌倉時代中期まで遡ることが出来るそうです。

 

しかし、こうした理由から考えると実際にはもっと古くから形こそ違えどこういった神事が残っていたことが伺えます。

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そもそも、「流鏑馬(やぶさめ)」とは鎌倉時代に武士の武芸の一つとして確立したものです。

 

平安時代後期から馬上の弓術としてあったものの、これがイコール神社の神事として出来上がって行ったのは後日談の話です。

 

吉保八幡神社にどんな形でこうした神事が残されていたかはわかりませんが、宇佐八幡宮から勧請(神様の御霊をわけてもらって迎える事)された時期は天長6年と言われ、平安時代初期にあたります。

 

神社が例祭を行うのは昔から変わりません。

 

という事は、少なくとも平安時代初期からこうした五穀豊穣や吉凶を占う神事が行われていたことがわかります。

 

八幡様というと武士の守り神と扱われてしまいますが、長狭に勧請された時期を考えるとそういった意味合いよりも、宇佐八幡に縁があった人物がいたか、御祭神の力が欲しかったからの方がしっくりきます。

 

ちなみに勧請ってのは仏教用語なので、社伝が具体的にどういったものかは不明ですがが後世に書かれたものか、もしくはその時代から仏教に精通した人物がいたもしれません。

 

また、実は長狭(広い意味で鴨川一帯)には古来国造(くにのみやつこ)が置かれていたそうです。

 

房総には安房の国と長狭の国があって、安房の事はよくわかっているのですが長狭の事は良くわかっていません。*2

 

館山には八幡神社(今の鶴谷八幡宮)がありますが、長狭にも歴史がある吉保八幡があります。

館山の鶴谷八幡はもともと総社として置かれ、両社とも同じころの時期に出来たと伝わります。

 

もしかしたら、吉保八幡も鶴谷八幡宮と同じ経緯を辿ったという可能性も考えられます。

 

長狭は安房国のように後々まで継続して続かなかったので資料等が少なくて確認出来ないだけで、吉保八幡神社はもしかしたらすごく歴史的価値のある神社かもしれません。

 

と、色々憶測で書いてしまいましたが、私は詳しく鴨川の郷土史を知る人間ではありませんし、資料や専門家の様々な意見もあると思います。

 

とはいえ、長狭地区は発掘調査されている数は他に比べると少ないので、どんどん調査が進むことを希望するばかりです。

 

ロマン溢れる吉尾の祭礼に是非足を運んでみて下さいね!

f:id:oragamatiko:20180801153116j:plain鶴谷八幡宮の祭礼

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参考文献・サイト

*1:今では鋸南と鴨川で長狭街道マラソン大会とかやってます。

*2:館山には国府跡など結構遺跡が確認されています。長狭を支配していた氏族の古墳群かもしれないという遺跡が鴨川市広場で確認されています。その辺りは条里制(道を均等に区分けして町を整備すること)もあったので有力。