おらがまち

歴史大好きまちこ主催!弱小「文化財」応援ブログ!

サーファーも見に来る北・南三原祭礼?この日はどこにいっても南房総はお祭りだらけ!

北・南三原祭礼について

北三原、南三原は、南房総市和田町のJR南三原駅を挟んで海から山間にかけて伸びる地区です。

 

和田町は関東で唯一の鯨の捕鯨基地があることで知られていますが、北三原はどちらかというと和田の山間の地区、南三原は海水浴を中心とした砂浜の広がる地区で、捕鯨を中心とした和田漁港よりは少し離れた静かなところになります。

 

とはいえ和田浦の海岸は通年サーファーで賑わい、最近はペンションやサーフショップなども出来、活気づいて来ている地区でもあります。

 

また温暖な気候から南房総ならではの花の栽培の盛んです。

海側に接する地区ではありますが、漁師町の粗々さとは違った祭礼を見ることが出来ます。

f:id:oragamatiko:20180801153116j:plain昔は房総には他にも捕鯨の港があった!

www.oragamati.com

詳細情報

毎年10月第2日曜日に北三原、南三原でそれぞれで開催される合同祭です。

この時期は「とおかまち」と呼ばれ、周辺の各地区でも祭礼が行われ、房総一円がお祭りで賑わう日です。

 

北三原、南三原ともに日中は各地区曳き回しの後、集結しお囃子の競演が行われるようです。
南三原は南三原海岸の駐車場に集結、北三原はどこかはべ今日不足の為わかりません。
情報があまりないので、ご存知の方がいらっしゃいましたら、色々ご教授下さると大変ありがたいです。
よろしくお願いします。


北三原の参加地区は、中組、東組の2地区、南三原は下、中、小川の3地区です。

山車・神輿等をご紹介

南三原祭礼・中組(?神社)

中組はJR南三原駅の周辺になります。

鎮守はわかりませんが、正運寺が祭礼の拠点となっているようです。

 

昭和15年製作されたと言われる山車を所有します。

浪花屋七郎兵衛による天照大神に人形を乗せ、後藤喜三郎橘義信の彫刻が彫られています。

松海中組とも言われています。

南三原祭礼・東組(?神社)

東組も中組同様JR南三原駅周辺の地区です。

 

神武天皇を乗せた山車があります。

昭和10年以前に製作されと言われたと聞いていますが、詳細は不明です。

北三原・下(熊野神社)

下は和田町の黒岩周辺の地区になります。

熊野神社を祀っています。

 

花屋台を所有し、後藤喜三郎橘義信による彫刻が施されています。

北三原の3地区は、屋台上部にたくさんの花飾りをすることで知られています。

それぞれ決まった色があり、下はカラフルな花を飾ります。

中(?神社)

中は黒岩周辺の山間の地区です。

 

ピンクと白の花が多く飾られた鮮やかな花屋台を所有します。

彫刻は後藤喜三郎橘義信と言われています。

小川(天御中主神社)

小川は北三原の海側の地区で、天御中主神社(あめのみなかぬしじんじゃ)を祀ります。

 

花屋台があり、最近新調されたようです。

先代はいつのものかは不明です。

黄と白の花を屋台上部飾りに祭礼に色を添えます。

まちこ豆知識

myoukensinkou-amenominakanusinomikoto

天御中主神(天之御中主神)(あめのみなかぬし)を御祭神とする神社はない。

北三原の下にある天之御中主神(あめのみなかぬし)を祀る神社ですが、実は天之御中主神を御祭神とする神社ってのは存在しません。

 

というと、ちょっと御幣があるかもしれませんが、「天之御中主神」が単独で神社に出て来るようになるのは、明治期以降になります。

これは明治の神仏分離令(しんぶつぶんりれい)に関係してくるお話なのですが、その前に天之御中主神についてちょっと解説したいと思います。

 

天之御中主神は、日本神話において一番最初に登場した神様になります。

「天の偉大なる中心神・至高神」というくらいの神様だから、その御利益を持って神社に祀られていもいいくらいですが、古来より祀られることはありませんでした。

 

なんせ今に限らず、古事記編纂の頃にも全く資料が無く、最初にあらわれた神様ですごく偉い神様なんだって、という情報のみで、昔の人もよくわかっていないような神様だったようです。

どちらかというと別次元に存在するもので、あまりにも抽象的過ぎて、どう祀ったらいいのか当時の人もわかっていませんでした。

 

やがて天照大御神を中心に全国に神道が広がり、また仏教伝来とともに全国にこれまた仏教が広まるようになると、以前お話した「神仏習合」という仏も神もごっちゃの時代がやって来ます。

 

そこで、天之御中主神は仏教の「妙見菩薩」や道教の「北斗信仰」と重なり、「妙見様(みょうけんさま)」として室町時代以降に爆発的に全国に広まって行きます。

よくにた神性をもっていたことから同一神としてみられるようになったって感じですか。

 

この話はあまり詳しく解説すると長くなるのでここではかなり省きます。

f:id:oragamatiko:20180801153116j:plain神仏習合については大山の祭礼をご覧ください。

www.oragamati.com

千葉にある千葉神社は全国的にこの妙見様を祀る神社として知られていますが、御祭神は北辰妙見尊星王(ほくしんみょうけんそんじょうおう)となっていて、カッコ書きで天之御中主神と紹介されています。

 

つまり、本命は北辰妙見(北斗信仰の妙見様)であって、同一神ではありますが天之御中主神ではないのです。

この妙見様(妙見菩薩)を祀ったことが、天之御中主神を引っ張って来て祀ることとなるわけです。

 

というわけで、天之御中主神はそれ自身で神社に祀られているのではなくほぼほぼ「妙見様」として神社にいるわけです。

 

で、この妙見様、神様と仏様の合体信仰によって生まれてきたものなので、明治に入って神仏分離令が出るとバラバラに分解されてしまうのです。

と、ここでようやく天之御中主神を御祭神とする神社が出現します。

 

なので、北三原にある天御中主神社は、どういった由来のあるものかは不明ですが、おそらく明治期以降に祀られた神社であると思われます。

 

また、それ以前にもし神社があったとしたら、それは妙見様をまつった「妙見社」といった名前の神社であったのではないでしょうか。

 

こればかりは、地元の古参の方や関連資料がないと断定は出来ませんが、近くに妙見菩薩の寺院か日蓮宗関連の寺院*1が、あったもしくはあるのではないかな。

 

と、たった一つの神様からも、時代の流れやどういった背景があったのかなどを推測することが出来ます。

 

そういった経緯を調べながら地元の神社を調べるってのも面白いと思います。

誰も調べていないからこそ、面白い話が出来るので、機会があればぜひぜひ皆さんももう一度自分の地区にある神社について調べてみてくださいね!

 

 

ちなみに、神社で一番大事なのは近くにある自分の地区の神社と言われています。

まずは新年のあいさつは地元の神社、そして他の寺社にお参りに行きましょう!

参考文献・サイト

  •  各地区の皆様!!!

*1:日蓮宗は室町時代以降妙見信仰を広めた中心的宗派だった