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歴史大好きまちこ主催!弱小「文化財」応援ブログ!

安房国一之宮安房神社と縁の深い長尾の祭礼。全地区が山車という珍しいお祭りです。

長尾祭礼について

長尾祭礼は南房総市旧白浜地区で開催される祭礼です。

 

白浜は房総の最南端に位置するところで、野島崎灯台があることでも知られています。

白浜沖は東京湾に入るための通過しなければならない難所とも言われ、野島崎灯台はその目印としても今も活躍している現役灯台です。

 

温暖な気候から食用のキンセンカなどが栽培され農業も盛んですが、海洋関係の仕事もそれ以上に盛んな地区でもあります。

 

白浜といえば全国でも数少ない海女の漁業が行われている地でもあり、7月の海の日のころに開催される白浜海女まつりは南房総の夏の訪れを告げる風物詩ともなっています。

 

また、館山市の安房の国一の宮でもある安房神社とも近い事もあり、安房神社との関連性の深い地でも合い、古来より海で開けた歴史のある町でもあります。

長尾の祭礼では、そんな歴史ある神社からの出祭もあります。

 

全地区の山車が集まり、下立松原神社に並ぶ姿は他の地区では見られない光景です。
是非足を運んで見てくださいね!

詳細情報

8月第1土・日(平成14年まで1・2)に下立松原神社を中心に南房総市旧白浜地長尾地区で行われる祭礼です。

 

1日目は各地区の曳きまわしの後下立松原神社に集合します。
2日目はは川下港にある竜神様に各地区で詣でるようです。
全地区が山車を所有する珍しい地区でもあります。

 

参加地区は、川下、砂取、根本、本郷、西横渚の5地区です。

山車・神輿等をご紹介

川下(?神社)

川下は房総フラワーラインの長尾橋脇交差点から海側の地区です。

鎮守はどこになるのか勉強不足の為不明です。

 

源頼朝の乗る山車を所有します。

後藤喜三郎橘義信による彫刻が彫られていますが、製作年代などはわかりません。

 

個人的に、あまり見ない青い胴幕が新鮮でかっこよかったです。

砂取(御嶽神社)

砂取は房総フラワーライン沿いの旧長尾小学校周辺の地区です。

御嶽神社を祀ります。

 

長尾祭礼には山車を出祭させています。

日本武尊の人形で、彫刻は後藤秀吉橘義雄によるものです。

平成12年に車輪を6輪から4輪へ変更する改修を行っています。

根本(三島神社)

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根本は房総フラワーラインで館山市と隣接するところにあります。

三島神社を祀っています。

 

山車を持っていてます。

人形は源範頼、彫刻師は後藤利兵衛橘義光です。

 

かつては安房神社例大祭にも神輿を出御していましたが、現在は出祭していません。

安房神社例大祭1300年祭に山車で参加しました。

安房神社例大祭

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本郷(下立松原神社)

本郷は館山市から千葉県道86号線から白浜に抜けるあたりになります。

下立松原神社を祀ります。

 

山車と神輿を所有します。

仁徳天皇を乗せ、後藤喜三郎橘義信による彫刻が彫られています。

 

神輿は、安房国司祭、かつて参加していた安房神社例大祭に出御しています。

安房神社例大祭1300年祭には神輿を出祭させました。

下立松原神社ほか出祭する祭礼

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西横渚(?神社)

西横渚は長尾橋脇交差点から千倉方面に少し進んだ住宅街の地区です。

鎮守は不明です。

 

山車を所有しますが、人形は何かはわかりません。

彫刻は初代後藤義光のものと聞いています。

 

現在のものは館山の根岸から譲り受けるたものだそうです。

館山の根岸

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まちこ豆知識

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山車について

房総の山車といえば江戸型山車の中の鉾台型山車がほとんどで、古く江戸の山王祭・神田祭などで使用されていたものがその原型と言われています。

 

そもそも房総の山車をはじめ、山車といえばからくりが施されその中に人形が入れら上下する形のものが多いです。

今でこそ電線の関係で大変重宝するこの上げ下げする形ですが、江戸の頃にそんな形のものが必要だったのでしょうか。

 

実は必要だったんです。

 

電線なんかはありません。

けど、江戸城の城門があったからです。

 

そのため、山車のからくりが必要となり、こういった形になったわけです。

他にもいくつか江戸型山車には種類がありますが、いずれも城門を通る際の工夫が凝らされていました。

最初から低いの小さいもの作ればよかったんじゃないかとも思いますが、それには諸事情がありました。

 

まず1つ目の理由は、江戸型山車が模したものが京都祇園祭の山鉾だったからです。

 

山鉾って江戸型の様にからくりがあって、上下するシステムは持っていません。

京都は江戸と違って城門の様なものはありませんし、お公家様の御屋敷はのっぺりしていたので、その都度低くしたり高くしたりする必要もないですし、昔は電線なんてありませんでしたしね。

 

2つ目の理由は、山車は神様が下りる依代(よりしろ)だったからです。

 

神様が地上に降臨するためには、依代が必要です。

昔は、石であったり木であったり山であったりしました。

それを人工的に作ったのが先に行った祇園祭の山鉾です。

「山」鉾と言うくらいなので、山を依代とするイメージで作られたものなので、大きく高くなって今の形になったと思われます。

山車も「山」つきますよね。

 

今でこそ集落の唯一の娯楽となっている祭礼ですが、本来の意味は神社の例祭です。

 

五穀豊穣や邪気払いなど、ちゃんと神様を呼んで行う神事でした。

神様が宿る山車は大きく高くなければならないものだったわけです。

 

なので江戸の土地に合わせて、祇園の山鉾は高さは高いまま、でもからくりで上下出来るようにと変化して行きました。

 

その土地土地で山車って色々な形がありますが、何かしらの特徴がありますよね。

 

ものすごく煌びやかだったり、ものすごく背が高かったり、ものすごく大きかったり。

それは、もともと神様の依代として作られたものだったから、とにかく目立つものでなければならない事情があったんです。

 

しかし祭りの花形であった山車ですが、お金はかかるし人手は必要だし、維持管理がとっても大変でした。

 

今でもそうですが、祭礼ってお金がかかるのです。

 

そうこうしているうちに明治に入って電線が導入され曳き回しがしずらくなり、さらに戦争に突入して空襲などで山車が焼失。

再興するにもお金がかかるしで、江戸を中心(現東京)とした江戸型の山車は徐々に消えて行きました。

 

結局、江戸の本家の山車はほとんど消失してしまいましたが、関東一円には江戸型の山車を模したものがたくさん残されています。

房総の祭礼で今も引き継がれているものは文化的にも当時の姿を知る貴重な資料でもあるわけですね。

 

特に江戸時代に作られたものもいくつか残っていますし、そりゃ国宝や重要文化財に指定されているものに比べればって思われるかもしれません。

 

でも、江戸時代の山車の研究をするのに、国宝や重要文化財の少数のものだけでは判断できないこともたくさんあります。

そうした貴重な資料にあなたの地元の山車が貢献できることは結構あります。

 

房総の山車だけではなく、江戸型山車の後継山車を所有している全国各地の弱小祭礼を維持している皆さん!

頑張りましょう!

何をがんばろう!

とにかくお祭りを長く続けていくことが大事です!

 

↓ちなみにこの項目のイメージですが、月岡芳年(つきおかよしとし)という幕末期の浮世絵画家による山王祭の様子です。個人的にとっても好きな画家で、興味のある方は是非画集なんぞご覧ください。たまに菱川師宣記念館で展示会やってます。

菱川師宣記念館

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参考文献・サイト

  •  各地区の皆様!!!