こんにちは。
弱小文化財応援ブログ「おらがまち」まちこです。
部屋の大掃除をすると困るやつ。
それは、ぬいぐるみ。
捨てるか人形供養に出すか、毎回毎回悩みます。
愛着があるのもはもちろんですが、実は人形(ぬいぐるみなど広い意味を含めます)に対して、私たち日本人独特の感覚があるんです。
今回はその人形について、縄文時代よりさらに前までさかのぼって詳しく見て行きたいと思います!
人形はなぜ生まれたのか
歴史はものすごく古い
人形は「人型に(もしくはあるものに姿を似せて)つくられたもの」をさします。
わたしたちが思う人形と言えば、ふわふわの遊び道具としての人形やお雛様や五月人形のように飾る人形と思いますよね。
でも、原型としては土偶や埴輪のような土で作られたもの、石に彫られたものなど、これ人形っていうくくりなの?というものなんです。
なので、仏像なども広い意味で人形のくくりに入ります。
その土偶から始まった人形の歴史は、いつからと明確な考古学的資料は発見されていません。
古いものは先史時代(石器などの道具を人類が使用し始めるころ)で、約3万5000年前のドイツ南部の洞窟で発見されたものがあります。
これは人類最古の彫刻といわれる人型の彫像。
先史時代は、石かほとんどが土偶のように土で作られたものばかりで、今のわたしたちの思うぬいぐるみのようなふわふわしたもの布製のものなどはありません。
これは、石や土偶のほうが布製のものなどに比べると土中で残る率が高いためです。
もしかしたら発見されていないだけで、布で作られた人形なんてのもあったかもしれません。
こればかりは、発見される運がその人形に必要なのでなんともいえませんが。
その後も時代時代で様々な形のものが出土しています。
女性であったり、犬や馬などの動物、家の形をしたもの、大きいもの小さいもの、木で出来ていたり粘土で出来ていたりと、とにかく多種多様。
初期は女性の形が多かったようですが、時代を経るほど多様化してくるのが特徴です。
日本最古の土偶は、滋賀県で発見されたもので1万3000年前のものになります。
やはり女性型の小さなものです。
土偶はやがて埴輪へと変化し、その後は木や鉄、銅などで作られ、爆発的に増えて行きます。
そしてこの人形を作るという行為は、現在まで途絶えることがない人間の文化的な活動となっています。
お守りとして使ったり、飾ったり
では、人形は一体どんな用途で生まれたんでしょうか。
飾るため?
遊び道具として?
それとも他に理由があるんでしょうか。
海外に通用する人形誕生の説は、実は日本には通用しません。
細かく見て行きたいと思います。
海外の場合~神様~
先にあげたドイツ南部で発見された石の彫刻は、大きさがわずか6cm。
自分で立つことが出来ない形をしているので、懐に入れていたり飾ったりしたものではないかと言われています。
いわゆるお守り的な人形であったと考えられています。
日本同様海外でも土偶は発見されていますが、ほぼ女性の形をしています。
その性格は農耕をメインとした生活から「五穀豊穣の地母神」としての扱いが強かったようです。
神様的な存在として飾られたりしていたといわれます。
このように、海外ではお守りや神様の像として生まれたのが通説となっています。
しかし、日本では狩猟民族としての色が濃かったので「地母神」的な扱いだけでは説明しきれなく、日本の土偶がどんな性格を持っていたのかはいまだ謎が多い。
日本の場合~土偶~
発見されている土偶は壊れた状態が多く、さらに謎を呼んでいます。
よく博物館なんかで飾られている土偶なんかは、かけらを集めて復元しているものになります。
もしくは全体を復元したレプリカを展示していたり、そのまんまきれいな姿で出土するというのはあまり見られません。
土偶を「意図的」に壊していたのか、それともたまたま壊れてしまったのかは、決定的な説はありません。
通説としては
- 病気などの回復を願って身代わりとして壊した
- 安産祈願を願って無事出産すると同時に割って壊した
- 一つのものから複数のものにするという種芋発想で豊穣を願って壊した*1
- 老朽化したり壊れてしまったりしたため「もの送り*2」した
- 古くなって精霊を宿すことが出来なくなったので破棄した
などがあります。
いずれにしても宗教的な感覚のもとで使用されていたことは間違いないようで、宗教用具として人形は作られたようです。
これは世界をみても日本もみても変わらない人形誕生の理由となります。
人形が怖い心理は日本人ならでは
人形は宗教用具の一つとして発展してきた経緯があるとお話しましたが、人形に対する感覚は海外と日本では根本的に違います。
なぜなら、日本人の性格は神道を基本にしているから。
根本は宗教から生まれる
海外ではキリスト教やイスラム教などが主流の宗教となりますが、いずれも「一神教」といって「神様はただ一人」という考えがあります。
「信じるものは救われる」というフレーズがありますが、神様は「敬い・信じ・崇拝するもの」としています。
なので偶像崇拝を禁止していますよね。
これだと神様が具現化(現実の世界に存在)してしまうので、神様の威厳がなくなってしまうわけです。
ちなみに「仏教」は仏像をお寺に安置したりしますが、これを拝んで崇拝しなさいというためのものではありません。
仏像は、仏教のお釈迦様やその真理(仏教の教え)なんかをわかりやすくするために仏像という形が出来上がっただけで、それに仏様が宿るとかっていう考えにはなっていません。
そして神道の神様は、常にすぐそばにいるものなので、崇拝するものでも信じるものでもありませんでした。
日本の神様はそのあたりの草にもいますし、お米粒一つ一つにもいます。
トイレにもいるし、お水にも神様がいます。
生活の中にともにいるのが日本の神様の特徴。
日本人は「モノには魂が宿る」という感覚を持っています。
「付喪神(つくもがみ)」は長い年月をかけた道具などに、精霊などが宿って人を驚かせる妖怪として登場しますが、これも神道の考えによるものです。
「なんにでも神様はいる」のが日本人なんです。
ましてや人や動物のようにもともと生命のある生き物を形にした人形なら、なおのことこうした考えになります。
なので、ぬいぐるみや人形を処分したいと思っても、日本人はなかなか捨てることができません。
人形が怖いという心理はここから生まれてきます。
もはや逃れられない根本的感覚です。
例えば掃除や仕事に対する美徳も逃れられないサガ!!
怖いのとはちょっと違う
そして、この人形が怖い心理はただ怖いのとはちょっと意味が違います。
もともと「ものには魂が宿る」のが日本人の感覚。
これは、「怖い」という心理とは違い、全てのものを大事にしなければならない、というのが根底にあります。
全てのものは身近にあり、すぐそばで感じるもの。
それがものに対する考え方です。
その魂を宿るものを捨てるというのは、すなわち「死」を意味します。
一種の殺人に近い心理を起こすわけです。
日本人は、昔から理不尽に死んだ者は、死した後人を呪うという「御霊信仰(みたましんこう)」があります。
いわゆる怨霊というやつです。
くわしくはこちらの記事で!
www.oragamati.com
ぬいぐるみや人形を自分の都合で処分する、捨てるというのは、そこに宿る魂を自分の手で殺すことに等しいわけです。
だから、安易にゴミ箱にポイ、ゴミ処理場へポイ、なんてのは、ぬいぐるみや人形にとっては理不尽なことこのうえない事態。
日本人は、そんなことしたら呪われるに決まっているじゃないか!となってしまう。
人形そのものに魂が宿るのは「怖い」ことではなくて、それを自分の都合で理不尽に廃棄しようする心理が、わたしたち日本人に「人形は怖い」という心理を生み出します。
だから、捨てないまでも大事にしてあげてない人形やぬいぐるみからも祟られる可能性があるわけです(笑)
心霊現象で人形の髪が伸びるとか、不幸をもたらす人形なんてのは、理不尽な扱いを受けたか、持ち主が無念の思いで死んで人形に憑いてしまったかがほとんどだと思います。
歴史的、民俗学的に「人形が怖い心理」を解説するとこんな感じになります。
潜在的意識がゆえ~まとめ~
日本人が人形をポイっとゴミとして捨てられない理由は、もう潜在的な意識です。
気にする人もいれば、気にしない人もいます。
どこかに売りに行くのも人形に申し訳ないと思う人もいれば、誰かにあげるのも気が引ける人もいます。
人形供養は、こうした日本人の心理をうまく浄化してくれる最高の手段だと思います。
そのままゴミに捨てるより、安心してお願いすることが出来ますよね。
そうだそうだ!
と、思ったあなたは紛れもない日本人(笑)
私たちの中には無意識のうちに結構神道的な考えに染まっている所があります。
面白い反面、こうしたやっかいな点もあります。
日本人は無宗教といいますが、むしろかなり宗教的。
なので困ったらすぐ近くの神社やお寺に相談に行きましょう。
もしも捨てるのがしのびない。
こどものこどもにも譲り渡したい。
そう思うなら、とりあえず保管です。
我が家も圧縮袋で、とりあえず保管してます。
カビもホコリも防止できるのでおすすめ。
余談ですが、こうした神道の考え方は縄文時代に作られてきたようだというものがあり、土偶もこうした考えに沿って謎解きをすると、もしかしたら解決の糸口が見つかるかもしませんね。
以上「おらがまち」まちこでした。