こんにちは。
弱小文化財「おらがまち」まちこです。
突然ですが、「妖怪」を見たことありますか?
おそらくないと思います。
というか普通ありませんよね。
実は「妖怪」や「お化け」・「幽霊」は、今の時代かなりの数が「絶滅」しているからです。
マンガやアニメにはたくさん妖怪は出演しているのに、現実の世界はさっぱりお目にかかれません。
ちなみにわたしも「妖怪」を絶滅させてしまっている人間の一人かもしれません。
文化財を応援している人間としてはあるまじきことかも。
今回は「妖怪と日本人」の関係についてのお話です。
それでは早速行ってみましょう!
無くなった逢魔が刻
「逢魔が刻(おうまがとき)」とは昼と夜の移り変わる時刻で、夕方の薄暗くなる頃の時間をいいます。
人はこれを境に魔のものがやってくると信じていました。
禍々しい時がやってくるともされ、「大禍刻」とも書かれます。
昔は昼と夜の境がはっきりとわかる時代でしたが、今はこの時間を過ぎても明るく、人もとても活動的です。
「妖怪」を絶滅させている原因はここにあります。
それでは「妖怪」の生態系をもとに細かく解説していきましょう。
暗い所がないと生きられない
今のご時世、夜に明かりのないところってないです。
とっても明るいです。
どこでも大抵明るい。
宇宙から日本をみると、夜の日本は形がわかるほど全国各地に電気が普及しています。
暗い所からひょっこり出てきて人を驚かせる、なんてのが妖怪行動パターンの王道ですが、暗い所がないとそれもできません。
妖怪は暗くないと生きてる意味がないんです。
うるさいと生きられない
これも非常に問題。
物静かな森の中から、そーっと現れてはそーっと消える。
って、妖怪はかっこよく華麗にやりたいと思っています。
でも、夜も日中も人間界は大騒ぎ。
日中は山の中でも工事関係の重機が動き回り、ナビを頼りに走り回る自動車、ハイキングや山菜狩り、キノコ狩りなんかも流行って、もう人間を目にしない日はありません。
お家の中だってそーっと色々やらかしたいんですが、電気やテレビがつけっぱなしでは出番がありません。
隠れる場所がないと生きられない
森林伐採や川の汚染など、動物たちが生きづらくなったように妖怪も同様に生きづらくなってきています。
市街地でも暗い所はなく、常に電気の明るさに灯され、夜もなく人の行動範囲は広いです。
物陰や暗がり、森や川の中にも落ち着いて隠れる場所がありません。
信じてくれないと生きられない
そしてこれが一番重要。
妖怪は人間に信じてもらえないと生きられません。
怖いと思ってくれる人がいないと、妖怪はいないのも同然。
もしかしたら、あなたのすぐ隣にいるかもしれない妖怪ですが、あなたが妖怪を信じてないと見えないし感じることも出来ません。
これは妖怪に限らず、神様にもいえます。
神様も人間に信じてもらって、信仰してもらえないと存在できません。
「どうせ神様なんていないし」
って思っていると、神様って本当にいなくなってしまうんです。
妖怪もそうですが、あちらの世界の住人にとっては死活問題です。
妖怪が好き、でも信じない現代の日本人
わたしたち現代人はこうした環境をつくっているのですが、妖怪や目に見えないものに会いたいと思っている人、結構いますよね。
ゲームやマンガ、アニメの中に妖怪をテーマにした作品はたくさんあります。
現代人は信じてこそないけれど、会ってみたいどんなものか知りたいという探究心はとてもあります。
しかし、この世界では妖怪は生きることが出来ません。
科学的な根拠がないのは当たり前です。
妖怪は見るものではなく感じるものなので、見えないのは当たり前なんです。
「そこになにかいる」
と感じることが出来ないと妖怪に会うなんて出来ません。
昔の日本人は妖怪と生活をともにしていた
電気も科学もなにもなかった時代に、妖怪や神様、はてはお化けや幽霊を信じるのは実に自然なことだったと思います。
わたしも「信じる」ことが出来ないので、妖怪や神様を絶滅させている人間かもしれません。
ただ、妖怪を信じていた昔の日本人の感覚を理解することはできます。
「ものをこわす」とそれが悪いものに化けてやってくるから、大事に使おう。
「ずるいことをする」と化かされたり罰があったったりするから、いいことをしよう。
「怪我をする」のは、妖怪にいたずらされたのかもと決着をつける。
「悪いこと」が起きるのは、妖怪が取りついたからかもしれないと思う。
こうした「あ、これは妖怪の仕業」と考えるのは、今のわたしたちが「科学的な根拠がある」と思うのと同じくらい自然なことだったようです。
妖怪のあれこれ
神様と妖怪とお化けと幽霊
実はどれも同じ意味を持っています。
「どれも目に見えないもの」という根本的な感覚がわたしたち日本人にはあるからです。
日本のホラー映画は「見えない恐怖心を煽る」ことに特化しています。
それは、わたしたちの中に「見えないもの」に対する畏怖や恐怖があるからです。
妖怪やお化け、神様なんかを信じない現代人ですが、ちゃんと受け継がれた感覚ってのがあるんですね。
また、見えないからこそ、様々な形のものを想像することができました。
この暗がりから何が出てくるんだろう、どんなお化けが出てくるんだろうって思いますよね、
だから、日本の妖怪やお化けってすごく多様だと思いませんか?
そのかず「百鬼(ひゃっき)」です。
「百鬼夜行」という絵図がありますが、これは「100匹の妖怪」ってことではなくて「とにかくたくさんの妖怪」ってことで、多種多様な妖怪が描かれています。
海外の妖怪
ちなみに話しはそれますが、海外の人が日本のホラー映画を見てもあまり怖いという感覚にはならないそうです。
お水がピチョンピチョンと垂れる音がすると背筋がぞっとしますが、海外の人はただ水が落ちてる音にしか思わないんだとか。
世界の妖怪やお化けは具体的に見えるものが多いので、驚き方や恐怖心ががちょっと違うんだそうです。
化け物系の狼男とか吸血鬼、ゾンビなんかも、追いかけて襲って来たり、お化けも積極的にポルターガイストをしたり憑依したりします。
直接的なドッキリの方が海外受けはいいそうです。
仏教伝来で身体が具現化
「目に見えない」という同じ意味だったものが、仏教が伝来してきたことで身体を持つようになります。
仏教は、具体的に仏教の内容を教えることを使命としています。
そのため仏像や絵図などで形にして、誰にでもわかる簡単なもので布教活動をします。
本来日本の神様や妖怪に姿かたちはありませんでした。
でも、この仏教の布教活動のおかげで身体をもつことが可能となり、「神・仏、妖怪、お化け、幽霊」といったものが細かく分類されてきました。
絵にすると明らかにそれぞれ違う容姿ですよね。
これをみれば仏様、これをみれば神様、こっちは妖怪で、こっちが幽霊、って、見分けることができるのもこのおかげです。
昔は「科学」=「宗教」
わたしたちは普段の生活で、何を根拠に生活をしているのか。
それは「科学」です。
キリスト教の世界ではこれは厳密に区分けされていて、ダーウィンの進化論や地動説などの色々な論争がありました。
ある人がこういう真実を突き止めたけど、キリストの宗教観ではありえないことだから受け入れらない。
こうして弾劾されてきたことはたくさんあります。
今でも「科学的な根拠」はあるけど、認められていないものもありますよね。
昔は「科学」という考えがありません。
すべては神のなすところ。
日本だって昔は「科学」なんてものはありませんでしたから、宗教からくる考えが先行するのは当たり前です。
日本人が神や妖怪なんかを信仰の対象としてきたのはごく自然なことでした。
今の時代の神や妖怪、はてはお化けや幽霊を信じる信じないという感覚とはちょっと違う次元のお話なんです。
神や妖怪は昔の人にとってすべてを解決できる「万能な考え」だったわけですね。
昔の人にとって、科学と現実、空想を合体させる発想は普通のこと。
例えば、宝石のくくりもそうです。
なんでもかんでもスピリチュアルだからと、拒否反応を示さなくても、実は意外に身近にいろいろ存在していること。
ゲゲゲの鬼太郎を見よ!~まとめ~
妖怪アニメといえば水木しげる氏の「ゲゲゲの鬼太郎」です。
わたしは夢子ちゃん世代(あ!歳がバレた!)だったので、その時のシリーズが一番好きかな。
毎回ヒロインが変わるというテレビアニメですが、原作は読まないといけない。
妖怪のなんたるかが、よ~く描かれています。
そして、おすすめなのが「猫目小僧」。
楳図かずお氏原作のアニメ?です。
「アニメ?」
といったのはその作風にあります。
原作はもちろん漫画なのですが、アニメはアニメらしからぬ作風なんです。
紙芝居ちっくというか人形劇ちっくというか、その作風にもグッと心をわしづかみにされました。
↓1976年のアニメですが、DVD化されています。
ほかにも「妖怪ウォッチ」は今や知らない人はいない大人気アニメ。
「妖怪人間べム」は、実写ドラマ化もされました。
そして、これらの中で共通しているのは、妖怪と人間の関係です。
大抵妖怪が人間を助けたりしてくれています。
これは根本的にわたしたち日本人の中に、妖怪は「悪」ではないという感覚があるからです。
妖怪に親近感を覚えるのは日本人くらいじゃないかな。
日本の「目に見えない」妖怪や神は、仏教伝来で大きく変化しました。
建築や宗教、生活などに直接的な影響を及ぼしたのは誰もが知る事実ですが、妖怪も仏教の影響を受けているってなかなか知り得ません。
こんな風に考えると「妖怪も日本の文化だ」と、納得できるのではないでしょうか。
その「妖怪文化」ももはや風前のともし火。
ですが、遺伝子レベルでわたしたちは「見えないもの」を怖いと思う感覚を持っています。
もしゾッとする瞬間があったら、その時は今の時代にあった妖怪が現れたのかもしれない。
なんて思ってあげてくださいね。
怖がることも立派な文化継承です(笑)
以上「おらがまち」まちこでした。
↓ 妖怪絵は月岡芳年(つきおかよしとし)と河鍋暁斎(かわなべきょうさい)が秀逸。
まちこも持ってる!
< 参考文献・サイト >