おらがまち

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鴨川市の面白いお祭りを見に行こう。お寺と神社がごちゃまぜ祭り!~大山祭礼~

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こんにちは。

弱小文化財応援ブログ「おらがまち」まちこです。

 

日本人って日本人なのに、神社とお寺の区別がつかないことがあります。

 

鳥居があると神社?

鳥居が無いとお寺?

神宮寺って神社?

などなど。

それにはちゃんと理由があるのですが、このお寺の神社の境界が昔はとっても曖昧でした。

 

だから、お祭りもくくりがとっても曖昧。

そうした曖昧なお祭りが、今でも鴨川市の大山には残されています。

 

「大山祭礼」は、昔のお祭りの形を色濃く残す面白いお祭りです。

 

どんなお祭りなのか、早速みてみましょう。

それでは早速!

大山祭礼について

「大山祭礼」が行われる大山地区は、鴨川市の山間。

房総半島の中の高い山(嶺岡山など)を有します。

 

鴨川市の一部ですが、海の印象が強いイメージと違って、かなり内陸で農業や酪農が盛んな地域でもあります。

棚田のオーナー募集で知られている大山千枚田などが有名。

 

また、房総半島の丘陵地区でもあるので、昔から山岳信仰があり修験道が開かれていた所でもあります。

 

その修験道の中心となったのが大山寺(大山不動堂が有名)。

「大山祭礼」の中心となるお寺です。

 

大山寺は奈良時代良弁僧正によって創建されたといわれ、すぐそばの高蔵神社も一緒に建てられたそうです。

 

この古い歴史を持つ神社とお寺を中心に大山の祭礼は開催されます。

鴨川市の中でも特徴あるおもしろいお祭りの一つです。

 

毎年8月の第1土曜日に開催され、もとは8月7日(戦前は7月7日)に行われていました。


神楽や鞨鼓舞などの神事も行われ、宮立て(宮立(みやだち)とも)、神輿、子供神輿、屋台などバリエーション豊かな祭礼です。

 

午前に各地区の神輿が大山不動尊集結し神楽奉納などが行われ、夜には旧大山小学校校庭に屋台が集合し、お囃子の競演へ。

 

たった一日ですが、朝から夜まで様々な催し物がみれます。

締めは花火!

 

詳しくは高蔵神社の神主さんがホームページを立ち上げて詳しく解説していらっしゃるので参考にしてください。


参加地区は、金束、釜沼、佐野、奈良林、平塚、古畑の6地区です。

昔はこの全区から神輿が出御していたそうですが、現在は人で不足の為平塚・金束・奈良林の3区のみ。

山車・神輿等をご紹介

金束(八雲神社)

金束(こづか)は、長狭街道の鴨川市としては最も西にある地区です。

鎮守は八雲神社を鎮守として祀ります。

寛政2年(1790)創建。

 

人形屋台を所有します。

明治30年以前に製作されたものと言われ、後藤福太郎橘義道の彫刻が彫られています。

昭和57年に改修が行われています。

 

神輿は屋根が金茶塗りの明治作のものです。

釜沼(日枝神社)

釜沼は大山千枚田を含み、長狭街道を挟んで南北に細長い地区です。

日枝神社を祀ります。

 

人形屋台を持っていて、昭和3年に地元大工・川名弥市が製作しました。

彫刻は後藤滝治義光で、脇障子以外を彫っています。

佐野(八幡神社)

佐野は釜沼の隣、長狭街道の北側にあたる地区です。

八幡神社(佐野八幡神社)が鎮座します。

 

人形屋台があり、地元大工・川名弥市が製作したとされていますが、詳細は不明です。

後藤庄三郎橘忠明による彫刻があります。

 

文化10年(1827)作の神輿が今もあるそうですが、渡御しないため詳細は不明です。

奈良林(三島神社)

奈良林は、大山千枚田下、長狭街道を南北に挟んだ地区になります。

立派な鳥居のある三島神社を祀ります。

もとは古畑と共同氏神でしたが、元治元年(1864)に独立し現在の神社となりました。

神輿はこのときに作られたものと考えられています。

 

また、明治23年に製作された人形屋台があります。

太田五良平藤原政信による彫刻が彫られ、昭和58年に改修が行われています。

平塚(八幡神社)

平塚は、長狭街道から南房総市に入る境にある地区です。

八幡神社を鎮守とします。

 

人形屋台があり、明治後期に製作されたものと言われています。

彫刻は後藤喜三郎橘義信です。

 

宮立てと神輿も出祭します。

神輿は出祭する3社(平塚・金束・奈良林)の中では一番大きい。

江戸後期のものといわれています。

古畑(諏訪神社)

古畑は鴨川市の最西、金束(こづか)の手前の地区になります。

 

大正4年に製作された人形屋台があります。

後藤福太郎橘義道による彫刻、屋台は竹沢徳次郎・高梨作蔵が製作しました。

 

文化10年(1827)作の神輿が今もあるそうですが、渡御しないため詳細は不明です。

 

< 参考文献・サイト >

お寺と神社がごっちゃ

今回の祭礼の中心となる大山寺不動堂と高蔵神社。

 「神仏習合」の名残が随所にみられる珍しいところ&お祭りです。

 

「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」ってのは、簡単にいうと神様と仏様は同じでどっちにも変身できるからどっちも拝まなならんというもの。

 

神仏習合を検索するとなんだか難しいことがかいてありますが、要はみんな同じで神も仏もなく崇めるべき存在ってことがいいたいわけです。

 

で、この慣習(神仏習合という考え)は実に1000年以上も続きます。

 

日本人に神社とお寺の区別を聞いてももあんまり上手に答えられません。

これは、この1000年という長い歴史の中で刷り込まれた意識なので、そう簡単には変えられないし、上手に答えられません。

 

やがて、この考えを撤廃するように明治政府からお達しがでます。

これが100年ちょっと前。

 

まだまだ急には変われません。

 

それに日本人にとってどちらを区別する優位をつけるっていうのは出来ません。

だって初詣にお寺も神社も区別なく行きますよね。

 

あれは別に間違ったことではないんです。

 

また、こうした考えから神社とお寺はワンセットっていうのが当時からの流れで、大山寺も高蔵神社もこの様式にのっとって作られています。

 

メインとなるのも管理しているのもお寺なのですが、そのお寺を守護するものとして神社が建てられセットで神宮寺なんて呼ばれていたりもします。

 

ちゃんと神主さんがいて、お坊さんが入れる場所が結構制限されていたりもし、全部が全部お寺主催というわけではないのも面白いとこ。

 

皆さんがご存知の鎌倉の鶴岡八幡宮も実は神宮寺で、昔の鶴岡八幡宮の扁額をよく見ると神宮寺の「寺」を削ったあとが確認できます。

神仏習合の考えは、明治に入って御法度となってしまったから仕方なく削ったんだそうです。

 

お寺のすぐとなりに神社があるってのはこのためです。

いわれてみると、お寺のすぐ近くに神社ありますよね。

離れてるよりすぐ近くにあった方が参拝もしやすいでしょう?

 

ちなみに高蔵神社の御祭神は日本武尊、大山寺不動堂の本尊は不動明王。

日本武尊の仏教での姿は不動明王で、不動明王の神道での姿は日本武尊とばっちりつながっています。

 

これを本地垂迹(ほんじすいじゃく)といって、仏教伝来後普及するにあたって、よその神様だとあんまりなじみがないから仏教の仏様が日本の神道に合わせて変身してくれたってものです。

 

他には天照大御神と大日如来なんて有名なのもあります。

 

だから大体隣り合う神社とお寺には同じ神様が祀られてるので、あなたのお家のすぐそばにもそんな名残があるかも。

 

大山寺不動堂はお寺のくせに2頭の狛犬に守られ、祭礼時には神輿が不動堂の外陣まで来ます。

明治期に撤廃された神仏習合の影が今でも見え隠れする面白い神社とお寺です。

 

また、大山寺不動堂の江戸時代は享和2年(1802)に建てられた本堂には、伊八の作品や鎌倉時代の不動明王などがあり千葉県の有形文化財にも指定されています。

 

双方に歴史がある分、お祭りの重みもとっても感じられます。

 

ちなみに御朱印もらいに、わたしたちはせっせと足を運びますが、それをもらうにもとってもいい日がお祭り。

 

お祭りはその神社やお寺に縁のある日に行われます。

 

縁があるから「縁日(えんにち)」=「お祭り」なわけです。

 

その日にお参りするとご利益も普段の倍です。

 

御朱印もらいに行くなら、お祭りに行きましょう~

 

 

以上「おらがまち」まちこでした。